緊張

出勤日に休むのは気が引けます。

急な体調不良でたまに会社を休む時は、正直寝ていても寝ている気がしません。

決してサボっている訳ではないのに、後ろめたさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

全然休めないなら、多少具合が悪くても出勤しておけば良かったと思う時もあります。

かといって早退なんて高度な技は私には無理です。

上司に休みの連絡をするだけで心臓はバクバク、手汗はベタベタなのですから。

早退なんて、面と向かって上司に言うなんて行為、おそらく失神します。(大袈裟)

それくらい気が弱いのです。

電話も特に苦手なので、電話する前は深呼吸が増えます。

社内で、業務の分からないことを聞くだけでも、話しかけるのに勇気がいるのです。

強迫性障害を患う前から、これはありました。

別に分からないことを聞くだけなのに、なぜこんなに緊張するのだろうと常々思っていました。

話しかけて相手にどう思われるのか怖い、休んだら何か言われているのではないかと考えてしまう。

過度な緊張と、過度な心配が治りません。

今は会社でも周りの方が皆在宅なので、私は出勤していても楽です。

それでもやはり、他人に話しかけられたり、話したりするのは勇気が要ります。

強迫性障害と一緒できっと、一生付き合わなきゃいけないものなんでしょうね。

私は何でも話せる夫と、少ない友人の少ないコミュニティで話せれば充分です。

電話

定期的に親に電話をするのがなんとなく強制的になっています。

しなくても良い、したくないのに、しなければいけないと思うのです。

一種の強迫観念です。

私の話など一切聞かない母との電話は苦痛でしかありません。

母は私の近況を知りたい訳ではなく、自分の近況を知って欲しいのです。

昔、地元で私が通っていた心療内科の先生が、1度だけ母に会ったことがありました。

一言二言言葉を交わしたでしょうか。

後日先生が、

「あのお母さんだったら〇さん(私のこと)苦労してこられたでしょう?」

と、私に言ったのです。

さすがプロだと思いました。

一言二言で母の性格を見抜いてしまったのです。

そういえば、高校の担任の先生も母の普通では無いところを見抜いていました。

その話をしたら、夫も最初から分かったそうです。

誰から見ても普通では無い母は、私をどれだけ不快にさせているのか知りません。

その母と長年連れ添っている父も、母に洗脳されているのか、普通に見えて普通では無いのかもしれません。

あまり普通という言葉は使いたくありませんが、ここではあえて使いました。

私の両親はあきらかに他の人とは違いますから。

もちろん、十人十色、色々な人がいるのは分かります。

でも、それで被害を受けている娘がいる以上、私の両親は人と違うのです。

今は地元を離れられて安心しています。

地元は大好きだし、帰りたいです。

でも両親の側にはいたくない。

わがままですが、今はこの生活が最高に幸せなのです。