知ることと知らないこと

はじめて強迫性障害と診断されたのはまだ実家で暮らしている時でした。


母も一緒に病院へ行き、先生に水道代がバカ高いと私が症状を言うより前にまくし立てました。


寡黙な先生が言った
「強迫性障害ですね」
の言葉は今でも忘れられません。


今は、うつ病や、ADHDなどの方に優しい世の中だとは思います。


でも昔は違いました。


ネット環境もそんなに普及しておらず、自分で調べることも難しかった世の中。


強迫性障害なんて、未知の言葉は自分ですら受け入れることは難しかったです。


ただ、この辛い症状に病名があることに何故か安心して、涙した記憶があります。


それから20年ほどずっと病院には通っています。


夫の転勤で地元を離れ、今いる土地でも通院していることは両親には伝えていたし、分かっていると思っていました。


しかし、ある日父に電話で言われたことに衝撃を受けました。


今私は、甲状腺の病院にしか通っていないことになっていたのです。


あんなに辛い思いをしていた、強迫性障害がないことになっていました。


治ったとでも思っているのでしょうか。


ちなみに両親は認知症ではありません。


おそらく両親の中で、強迫性障害なんて名前も覚えられない未知の病はなかったことにしたかったんだと思います。


正直症状を話しても分かって貰えないことは分かっているので、そのまま、両親には話しを合わせています。


分かってもらおうとは思いませんが、私が病院に通っていることは知っていて欲しかった。


でも今は私の強迫性障害が、両親の中で消えている分、何も話さずに済むので逆に楽です。


病気の事は自分にしか分からないから、誰にも言わない。


そう思って生きてきました。


今は夫が最大の味方で、最良のパートナーなので、すべてを打ち明けました。


夫は知る努力をしてくれています。


だから、とても気持ちが楽になりました。


今のこの生活がとても好きです。

前を向く

5年前、私は主人の転勤で初めて地元を離れました。

生活はとても楽しく、充実していたのですが、どうしても人になじめず…

そのせいか仕事がうまくいかず、バイトを転々としてしまいました。

そして、強迫性障害の症状も色濃く出てくるようになります。

例えば、出かける前に何度も何度も家じゅうの施錠確認をする、仕事で作成した資料を何度も読みかえす…など。
施錠も資料も確認すればするほど何が正しいのか分からなくなります。

そして前に進めない。

毎日毎日仕事と仕事以外で、疲労困憊でした。

こんな辛い思いをしてまで働かないといけないのか…

そう考えたとき、ある行動に出ました。

まずはぼやっと、
「強迫性障害 仕事 辛い」
などのネット検索を。

そこから、強迫性障害にも保証があることを知ります。

それが障害年金でした。
簡単に言えば障害者がもらえる年金の事です。

基本はうつ病患者が対象らしいですが、私は若干抑うつも入っていたので、もしやと思い調べまくりました。

とはいえ、知識もないので、すぐプロの社労士事務所で無料相談をお願いすることに。

優しそうな女性だったので、とても安心しました。

様々、症状の質問をされましたが、この症状なら障害年金貰えますよとのこと。

手続きは、お金はかかりますが、自分ではできないし、負担が大きいと思ったので、すべて社労士さんにお願いしました。

帰り際、社労士さんが一言。

「障がい者手帳は取得予定ないのですか?」

正直私には縁のないことだと思っていたので、驚きました。

「私でも取得できるものなのですか?」

恐る恐る聞いてみましたが、障害年金を受給できれば比較的簡単に取得できるのだそう。

なんだか目の前が少し明るくなった気がしました。

結果、時間はかかりましたが障害年金も無事受給できることが決まり、障がい者手帳も取得できました。

何事も調べなければ分かりません。

税金は、勝手に徴収されてしまいますが、個人の得になることは誰も教えてくれない。

こんな保障があることも、私が受けられることも一歩踏み出さなければ分かりませんでした。

障害年金受給決定通知書が自宅に届き、社労士さんに伝えた時、

「本当に良かったです!」

と喜んでくれたことが、とても嬉しかったです。

生きにくいなと感じるときは、自分の心のSOSのサインです。

自分を救えるのは自分しかいないと今はよく分かりました。