「頑張って」

いつもではないのですが、昔から空腹になると手が震えていました。

そういう時は、何か口に入れないと倒れそうになるので、チョコや蜂蜜飴を緊急用に持ち歩いています。

昨日はまさにその日で、疲れも半端なかったです。

今日もそうなのかと思うと仕事が憂鬱ですが、弱音ばかりではいられないので、頑張りたいです。

頑張るといえば、
「頑張って」
という言葉はうつ病の方には言ってはいけないそうですね。


言葉は時に刃にも薬にもなります。

使い方を誤れば人を簡単に傷付けられる凶器、そして傷を治す万能薬です。

でも難しいですね、相手がどう捉えるかなんて分からないし、自分は良かれと思って深く考えずに言った言葉が相手には地雷だったりします。

多分心が傷付いている時は、何を言われても刃にしか捉えられないのだと思います。

もちろん心が元気でも、悪意のある言葉には傷付きますけどね。

ただ、「頑張って」の言葉も、相手が気持ちを込めて言ってくれたことなら、伝わるんじゃないかと思うのです。

大事なのは言葉に込められた気持ちなんじゃないかなぁと。

言い方ってありますよね。

ぶっきらぼうに「頑張って」と言われても「せいぜい頑張れば」程度の嫌味にしか聞こえません。

でもずっと応援してくれている人に「頑張って」を言われたら誠意を感じます。

気持ちは言葉にあらわれます。

私もふとした言葉で誰かを傷付けないよう、誰かを元気にできる言葉が言えるよう、日頃から言動には注意したいです。

私なりの護身術

私のことを何も知らない人にかぎって、様々な刃を向けてきます。

結婚したのに、どうして子供を作らないの?

子供がいないなら、フルタイムで働くべきじゃない?

暇じゃないの?

私が散々考えて子供を作らない決断をしたことも、体調を考えて今の扶養内の働き方にしたこともその人は知らないのです。

暇ではなく、頭をからっぽにする時間が必要なこともその人は知らない。

でも説明しても分かってもらえないと思うし、親しくもない人に説明する理由はないので、笑って誤魔化します。

私は今の生活が気に入っているし、自分の体調には合ってます。

幸い、少し前の子宮体ガン検査も問題ありませんでした。

大病を患っている訳では無いけど、毎日が生き辛い。

そんな毎日が今は充実したものに変わりました。

それは主人の助けや、自分なりの強迫性障害との付き合い方を学んだから。

強迫性障害は少し自分が弱るとその弱い部分に容赦なくズケズケ侵入して、弱った自分に追い打ちをかけます。

だから、自分で自分のご機嫌とりが大事。

どうすれば楽しく快適に生活できるか、何か嫌なことがあった時の気持ちのあげ方はなど、自分自身のトリセツを作るのです。

私の場合、嫌なことがあった時はひたすら落ち込みます。

どうしようもないことを知っているから。

するとある日突然、急に悩んでいたことがどうでもよくなる瞬間があるのです。

そうして自分自身との付き合い方を考える。

私なりの護身術です。

今は趣味は生活と言えるほど、充実した生活が楽しいです。