私の物語

人生には、運命の本が1冊は存在すると思います。


小説でも漫画でもエッセイでも。


最近は本を読むことがめっきり少なくなってしまいましたが、私にも運命的な本が何冊かあります。


人生のターニングポイントや、ふとした瞬間に読みたくなるそれらの本は、かけがえのないものです。


電子書籍でも良いと思う方もいるかもしれませんが、私は古い人間なのか、本がたまらなく好きなのです。


紙の質感、匂い、ものによっては分厚いハードカバー。


それらは手に持ってはじめて味わえるものです。
最近急に思い出して、古い本を引っ張り出してきました。


何故か急に読みたくなる、そんな本が運命の本なのかなぁと思います。


久々にその本を手に持って、たまらなく懐かしい、幸せな気持ちになりました。


ひとりっ子で外で遊ぶのが苦手だった幼少期の私は、絵を描いたり、おままごとをしたり、本を読んだりして遊んでいました。


ひとり遊びは得意でも、誰かと遊ぶのは苦手だったのです。


本を読んでいる時間は現実逃避して、私は物語の主人公になれた。


当時は少なからず寂しいと感じる時もありました。


でも今は思います。


私の人生の主人公は私しかいないのだと。


ドラマティックな出来事なんてなくても、私は私の物語を生きているのです。


それだけで、なんだか強くなれる気がしました。

私なりの護身術

私のことを何も知らない人にかぎって、様々な刃を向けてきます。

結婚したのに、どうして子供を作らないの?

子供がいないなら、フルタイムで働くべきじゃない?

暇じゃないの?

私が散々考えて子供を作らない決断をしたことも、体調を考えて今の扶養内の働き方にしたこともその人は知らないのです。

暇ではなく、頭をからっぽにする時間が必要なこともその人は知らない。

でも説明しても分かってもらえないと思うし、親しくもない人に説明する理由はないので、笑って誤魔化します。

私は今の生活が気に入っているし、自分の体調には合ってます。

幸い、少し前の子宮体ガン検査も問題ありませんでした。

大病を患っている訳では無いけど、毎日が生き辛い。

そんな毎日が今は充実したものに変わりました。

それは主人の助けや、自分なりの強迫性障害との付き合い方を学んだから。

強迫性障害は少し自分が弱るとその弱い部分に容赦なくズケズケ侵入して、弱った自分に追い打ちをかけます。

だから、自分で自分のご機嫌とりが大事。

どうすれば楽しく快適に生活できるか、何か嫌なことがあった時の気持ちのあげ方はなど、自分自身のトリセツを作るのです。

私の場合、嫌なことがあった時はひたすら落ち込みます。

どうしようもないことを知っているから。

するとある日突然、急に悩んでいたことがどうでもよくなる瞬間があるのです。

そうして自分自身との付き合い方を考える。

私なりの護身術です。

今は趣味は生活と言えるほど、充実した生活が楽しいです。

わがまま病?

私は強迫性障害とうつ病を患っています。

うつ病ってただのわがまま病と言う人もいます。

自分は病気だからと、わがままを言いまくる人も確かにいて、私は絶対にそうはなりたくないと、周りの顔色や空気を読むことに必死になりすぎて、結果心が疲れました。

誰からも好かれる人はいないし、陰口を言う人もいます。

陰口を言うような奴の言葉なんて信じるに値しないです。

でも私は弱いからすべての刃を吸収して、身動きが取れなくなる。

周りの人たちは、もう前に進んでいるのに、私は前に進むどころか、重い足枷がついてくる。

でも、私は自分を諦めたくない。

メンタルは強くできないし、世渡り下手だけど、私は私を少しでも好きになってあげなきゃ、かわいそう。

だから、今日も前を向いて生きていく。

人生山あり谷あり

強迫性障害の症状が最近酷いです。

朝出掛ける時の戸締り確認だけで疲れて、汗を異常にかくのです。

仕事の前に疲れてしまう。

そんな時、主人の「辛い時は頼って」という言葉を思い出しました。

本当は自分の恥を晒すようなこと、したくなかったです。

でも、主人に甘えてみることにしました。

戸締りを一緒に確認してもらう。

それだけで不思議と何度も確認しなくなり、生活が楽になりました。

もちろん、1人で出掛ける時もあるので、その時は仕方ないのですが。

出会って10年、結婚して6年。

私は主人にこの前はじめて、私の病状を包み隠さず話しました。

今までは隠したい、恥ずかしい、それだけでした。

でも主人には知って欲しいと思ったのです。

私は強迫性障害になってから、誰にも詳しい症状を話したことはありません。

当時一緒に住んでいた両親すら、私の症状を見ても、ただ否定するだけでした。

私の長くて拙い話しを主人は静かに聞いてくれました。

夫婦は所詮他人、全てを理解してもらおうとは思いません。

でも、理解しようとしてくれることはできます。

主人はそれをしてくれる唯一の人です。

私ももちろん、喜びや悲しみ、すべて理解するため、主人に歩み寄ることは忘れません。

その時主人が「辛い時は頼ってね」と言ってくれたのです。

涙が溢れました。

私には寄り添ってくれる人がいる。

それはなんて幸せなんだろうと…。

私も、主人の唯一無二の存在でありたいと心から願います。

優しい社会

会社の社員さんが急に会社に来なくなり、1ヶ月がたちます。


理由は誰も知らないらしいです。


勿論部長は知っていると思いますが。


ただ、復帰予定の日は無断欠勤したらしく、部長も首を傾げていました。


他にもメンタルをやられ、休職している方がいます。


うちの会社はそんなにブラック企業なのでしょうか。


もしくは現代人のメンタルが繊細すぎるのか…。
私だってメンタルは弱いです。


今のところは自分を奮い立たせ、仕事してますが、たまに理由もなく泣きたくなる時があります。


昔勤めていた会社の方が、「うつは甘え、体の病気じゃないんだから、どうにかなる」と言っていました。


その方には、メンタルが繊細な人の気持ちは分からないのでしょう。


その会社で、私はまさしくメンタルを壊してしまい、会社へ行こうと思っても行けない時がありました。


何日か休んだ時、その方から電話が来て、責められました。


会社に行こうとすると吐きそうになると言っても、一日中吐いてる訳じゃないんだから来なよと。


その方とは一生相容れないと思います。


目に見える病気しか病気と認めない、そんな人には、繊細な人の気持ちが理解できない。


周りに迷惑をかけていると分かっていても、どうしようもない。


逆にそれがプレッシャーになり、余計行けなくなる。


目に見える体の病気は目に見えて治りますが、目に見えない心の病は自分にしか分からなく、治らない時もあります。


私の強迫性障害と同じです。


人と人との関係や仕事は時に難しく、自分の思い通りにならないことが多々あります。


それでもメンタルが繊細な方に優しい社会になるように、願っています。