腫れ物

私が強迫性障害を誰にも言わないのは、ただ単に心を許していないのもあります。

でも1番は腫れ物扱いされたくないからです。

多分私が友達から、うつ病だと聞かされたら通常通りに接することが難しくなってしまうと思います。

小さなことで気を使い、自分の言動に細心の注意をはらいます。

私は周りにそんなことをしてほしくはないのです。

夫に打ち明けた時も、不安はありましたが、夫は今でも変わらず接してくれます。

それって、実は凄いことです。

私にはおそらくできません。

自分はやられたくないけど、相手にそれを求めるのはわがままですが。

デリカシーがない人と、真に優しさを持っている人では対応が違うと思います。

軒並な正論を言われるより、一緒に別の話題で笑ってくれるような人が私の理想です。

「強迫性障害?なにそれ?」

位のスタンスの方が楽なのかもしれません。

かといって

「心の病気なんて気合いでなんとかなるでしょ。」

なんて言われたら、その人とは絶対に付き合えません。

自分でも正直面倒だと思います。

だから、言わないのです。

そして、なるべく面倒だと思われたくなくて無理して周りに合わせようとします。

だから余計神経がすり減るのかもしれません。

私が強迫性障害を発症した当時は、心の病気なんてまだまだメジャーではありませんでした。

今は昔よりは、メンタルの病気に優しい世の中です。

メンタルを患っていても、それを個性と捉えて尊重できるような、そんな人に私はなりたいです。

恐怖心

物心ついてから、私がはじめて恐怖心を抱いたのはレンタルビデオ屋でした。

父と母は、映画が大好きでよくレンタルビデオ屋に連れて行ってもらっていました。

ただ、何とも言えないあの店内の匂いと、ホラービデオのジャケットが目につき、幼い私には、とてつもない恐怖だったのです。

今思えば、それは恐怖症だったのかもしれません。

世の中には様々な恐怖症があります。

それが私にはレンタルビデオ屋でした。

レンタルビデオ屋に行く時は周りを見たくなくて、いつも俯いていました。

もう、レンタルビデオ屋なんてありませんが、私が映画をあまり見ないのにはその恐怖症も関係しているのかもしれません。

恐怖症の引き金は何になるかなんて、誰にも分かりません。

今でも数少ない、レンタルDVD屋などには行きたくないです。

見なければ良いのに、見たくないものばかり目に入るのです。

そういえば、虫嫌いな私は、家族の誰よりも家の中にいる虫を発見するのが早いです。

苦手なものや恐怖は1度頭にインプットされると、なかなか出ていってはくれません。

何か楽しいことを考えても恐怖が勝つのです。

私のそんな恐怖を和らげてくれるのは実際に目の前にある、美味しいものや綺麗なものです。

恐怖は想像でしかありませんが、目の前のものは現実です。

目の保養をしているうちに、恐怖は遠のきます。

ただ、消えた訳ではないので、また何かのきっかけですぐ近くに来るのです。

迷惑な客ですね。

強迫性障害と同じです。

私たちは付かず離れず、適度な距離で歩いています。

時々は遠くに行ったり、近くに来たりを繰り返して。

決して消えたわけではない。

見えなくともその存在は確かにあります。

強迫性障害から派生する数々の恐怖と私はこれからも戦って行くのです。

病み期

また病み期が来たかもしれないです。

夫も体調を崩し会社を休んでしまいました。

夫が病んでいる時には私は元気でいないと、2人で倒れたらどうしようもないです。

こんな時、めげない強いメンタルが欲しいです。

病は気からという言葉もあるように、心が強ければ病気にも勝てる気がします。

逆に心が病んでいると、体調が悪くなります。

今病み期だから、気をつけねばいけません。

自分の病み期には慣れませんが、対処法は少し分かってきました。

とにかく平日の疲れを残さないこと。

体は疲れていても、心は健やかであるようにします。

それには自分をたっぷり甘やかすことです。

夜は好きなYouTubeを見たり、好きな食べ物を食べたり、自分のご機嫌をとります。

そして睡眠はたっぷりとり、週末は頭を空っぽにします。

気分転換に出かけるのも良いのですが、いつの頃からか、毎日のルーティンが狂うと、メンタルにダメージを負うようになりました。

面倒な自分ですが、そこは自分を理解して対策することが大事ですね。

少し余裕ができたら、気分転換に散歩でもして、秋を感じたいです。

病み期の外出は、人混みを避け、自然を感じるのが私には合っています。

人が多いと疲れるのは田舎生まれの特徴でしょうか…。

特に病み期は人混みが苦手です。

近所の木から落ちているどんぐりを見るだけで癒されます。

少し落ち着いたら、自然を感じに出かけたいと思います。

グラス

昨日の夜グラスを割ってしまいました。

楽しかった夫とのデートから帰宅してすぐに。

水を飲んだグラスを洗おうとして手を滑らせてしまったのです。

お気に入りの二重ガラスのグラスでした。

片付けも文句1つ言わず「大丈夫大丈夫」と私を元気付けながら一緒にやってくれた夫には頭が上がりません。

何で自分はこうなのか。

なぜ手を滑らせたのか。

自分を責ればキリがありません。

私はこうなると立ち上がるまでに時間がかかります。

少しのミスや、過ちを許せない自分がいます。

それは完璧主義の自分のせいです。

他人にはどうでも良いことをぐちぐち考える自分に嫌気がさします。

昨日はいつもより早く寝ました。

起きて悶々としていても意味が無い。

私の性格上、しばらく引きずるはずですから。

面倒な女なのです。

でも、夫は「今日は楽しかったね。おやすみ!」と言ってくれたので、なんだか少し気持ちが楽になりました。

早く寝て、早く大丈夫な自分になりたい。

そう、強く思いました。

会話能力

あの時これを言えばよかった、あれを言えばよかったと後から後悔することがあります。

頭の回転が早い人ならすぐに上手い返しを思いつくのでしょうが、私には無理です。

そして何故かあとから、言えばよかった上手い返しを思いついてしまうのです。

不思議なもので、一旦落ち着くとなかなか良い答えが生まれるものです。

なにかの本に普段からこう言われたらこう返すという、シュミレーションをしておくと良いと書いてありました。

しかし、無限にある会話に予測なんてつくわけないです。

日々、誰かとコミュニケーションをとることで自然と頭の回転が良くなるのだとは思います。

ただ、コミュニケーション不足&苦手な私にはそれすら難しい…。

高校生の時は確かに、毎日友達とばかみたいに話していたので、頭の回転は早かったように思います。

今は会社に1日いても、何を話したか覚えているくらい、会話は少ないです。

誰とでも人懐っこく話せる人が羨ましいです。

ただ、自分はそうなりたくないと思う時もあって、矛盾してますね。

私は親しい人と仲良くできれば、浅く広い交友関係はいらないと思っているタイプです。

だから余計、誰とでも仲良くしなくても良いと思うのです。

言葉の刃が怖くて逃げているのかもしれません。

傷付くなら話の輪の中に入らない方が良いです。

防衛本能も過度はいけません。

でも私はおそらく変わらないでしょうね。

お弁当の中身

繊細過ぎるのでしょうか。

少し嫌なことがありました。

会社でのこと。

「今日お昼何食べるの?」

と、さほど親しくない方から聞かれました。

「普通にお弁当です」

私は一応毎日お弁当は作っています。

中身はだいたい毎日一緒ですが。

この返事がつまらなかったのでしょうね。

「いや、中身を聞いてるんだよ」

「秘密です」

「え、これって聞いちゃダメな事なの?誰か傷つく?」

私の「秘密です」が面白くなかったんでしょう。

こんな時面白い事を言えたらと思いますが、私は会社では1人黙々と仕事をこなしていて、とても静かな人です。

そんな私が面白いことなんて言えるわけないのです。

しかも親しくもない人に。

相手は何も思っていないかもしれませんが、私はずっとモヤモヤが残っています。

その後笑って誤魔化しましたが、正直ちょっと泣きそうでした。

別にお弁当の中身なんて知られても良いじゃんと思う人がいる反面、私は恥ずかしいのです。

いつも同じの食べてると思われるのも嫌だし、なんだかプライベートを見られているようで嫌です。

なんでもない出来事ですが、私には大事です。

ずけずけ言うのは、気心の知れた仲間内だけにしてほしい、そう思いました。

こんな事気にする価値もないのに、グチグチ考えるのが私の悪いところです。

陰口を言われているのではないか、そんな妄想もします。

言いたいヤツには言わせておけば良い。

そう、頭では分かっているんですが、心が追いつかないです。

しばらく嫌な気分を引きずりますね、これは。

不安との戦い

私は毎日不安と戦っています。

朝は戸締りの不安。

これは夫と一緒に確認してもらうことでかなり楽になりました。

通勤中は、階段から落ちるんじゃないか、転ぶんじゃないか、何か物を落としていないか、の不安。

これは毎日付きまといます。

そのため階段は落ちないようゆっくりですし、荷物は常にぎゅっと持っています。

出社後はタイムカードをちゃんと押せたか何度も確認。

別に押せていなくても月末にまとめて申請できるのに、確認しないと気がすみません。

お昼は、周りに人が居るため、むせったらどうしよう、こぼしたらどうしよう、の不安。

そのため誰よりゆっくり丁寧な動作で食事します。

帰りもタイムカードの不安や、事故の不安と戦い、夜寝る前は明日寝坊したらどうしようの不安と戦うのです。

日々自分との戦いです。

無駄なことを考えても仕方ないのに、延々と考えてしまう、強迫性障害の私には無駄にできる時間など1秒もないのです。

それでも安らげる時間があるから、私は私でいられます。

張り詰めていた時間があればあるほど、ゆとりの時間が有難く感じるのです。

何も考えず、ただ流れに身を任せる時間が至福の時です。

他人には無駄に思える時間も私には貴重な時間なのです。

偏見

会社に、メンタルの病気で休職している方がいます。

その方を駅前で見たと言っていたパートの女性がいました。

その話を聞いた周りの反応が、
「なんだ、元気に出歩けるんだったら会社にも来れるのにね」
でした。

勘違いしないでほしいですが、うつ病やメンタルの患者さんがずっと引きこもりかと言ったらそんな訳ないです。

一人暮らしなら尚更、元気じゃなくても出かけなければ食料調達もできません。

そして誰か友人と会ったり、遊びにだって気分転換で出かけます。

それは悪いことなのでしょうか。

心が傷付いているのだから、傷を癒すため、好きなことをしなければいけません。

驚いたのが、1人のパートさんがそう言った時、全員が共感していたことです。

「なんだ元気じゃない」
私は何も言えませんでした。

こんな時反論できる強靭なメンタルが欲しいです。

元気かどうかは、本人が決めることであって、周りが決めつけることではありません。

少なくとも、休職しているその方は元気で遊びあるっている訳ではないです。

なんだか悲しい気持ちになりました。

こんな偏見がいつかなくなると良いと思います。

昔は私の強迫性障害も知名度ゼロでしたが、今は多少は知られる病気になりました。

そんな風に世の中が少しずつ変わって行けたら、メンタルの病気の人も生きやすい世の中になるんじゃないかと思います。

障害年金と障害者手帳

強迫性障害の症状が色濃く出てきて、最初に思ったのは、なぜこんなに辛いのに働かなければいけないのかということでした。

怪我や目で見て分かる病気と違い、メンタルは分かりにくいです。

それでも、こんなに辛い思いをしても、世の中は何もしてくれないのだと、絶望していました。

しかし、必死になって色々調べたところ、「障害年金」について知ったのです。

障害年金とは所定の障害の方に支給される公的の年金です。

とはいえ、何も分からないので、まずは社労士さんに無料相談することに。

はじめての面談は緊張しましたが、社労士さんは女性の方で私の病状などやさしく聞いてくれました。

ある程度質問が終わり、この症状なら障害年金が貰えると思いますよとのこと。

なんだか目の前が開けた気がしました。

面談終了後の帰り際、社労士さんが「障害者手帳は申請しないのですか?」と。

びっくりしました。

私程度の症状でも取得できるものなのか聞いたところ、障害年金受給者は比較的簡単に取得できるそうです。

目からウロコでした。

いや、棚からぼたもち?

どちらにせよ、手続きもお金はかかりますが、そのまま社労士さんにお願いすることに。

もし障害年金が貰えない場合は、料金は発生しません。

しかし、面談ですぐにお願いしようとしたところ、「1度ご家族と話されてからの方が良いですよ」と、社労士さん。

気が変わらないうちにすぐ契約させるのではなく、きちんと相談した方が良いと言ってくれた社労士さんを、本当に信頼できると思いました。

帰ってすぐ夫に相談し、後日契約。


しかし、病院で障害年金を申請したい旨を伝え、先生に診断書を書いてもらおうとしたところ、怪訝な顔をされ「結婚してるよね?家計が苦しいの?」と聞かれました。

結婚していても、申し訳ないですが夫の給料だけでは心もとないです。

それは話しましたが、なんだか嫌な気分にはなりました。

結婚していても辛いのは変わらないですから。

それから、障害年金の受給者証が届くまで3ヶ月ほど。

社労士さんに受給者証が届いたことを連絡すると、とても喜んでくれました。

その後障害者手帳申請で1ヶ月。

まさか私が障害者になるとは思いませんでした。

正直並大抵の覚悟ではありません。

でも今はそのおかげで、少しですが、ゆとりのある生活ができています。

何も行動しなければ始まらない。

生きにくいと感じたらそれは、心のSOSのサインです。

世の中は、勝手に税金は徴収しても、弱っている人に手を差し伸べてはくれません。

自分から行動するのが大事なのだと学びました。

障害者はずるいと言われることもありますが、その分辛い思いをしています。

それは分かってもらいたいです。

不安障害

強迫性障害に、不安障害というものがあります。

もし事故をおこしたらどうしよう、先端が尖ったものを見ると刺さったらどうしよう、今この床が抜けたらどうしよう。

心配しても仕方ないことを心配する、不安が付きまとうのです。

時に怖くなるほど妄想は強くなります。

ふとした瞬間に現われるこの不安を、私は1度脳内を空っぽにすることで払拭します。

そして楽しいことや嬉しかったことを考えるのです。

嬉しかったことや楽しかったことのストックの引き出しはいくつあっても良いものですね。

マイナスなことばかり考えてしまう時は、引き出しをいくつか開けて、マイナスな感情を上書きします。

これができるようになるまでかなりの時間がかかりました。

自分なりの気持ちの持ち上げ方は人それぞれ。

まずは自分を知らないと対策できません。

自分は今なぜ落ち込んでいるのか、何が不安なのか、原因が分かったら、根本の原因を改善します。

改善することができないものなら、忘れる努力をします。

忘れられない嫌なことも、時間が解決してくれます。

時には落ち込んでも、不安に押しつぶされても、這い上がる方法を知れば怖くない。

日々勉強です。