「普通」

最近考えることがあります。


みんなが言う「普通」って何でしょう?


多数の人がそうだから、それが「普通」?


でも、他の人と違う人沢山いますよね。


十人十色で、ひとりひとり個性があります。


結婚して子供を授かり、家を建てる。


これが「普通」の幸せでしょうか?


人によってそうじゃないこと、沢山あります。


親は、「普通」を望みます。


それが1番幸せだと信じて疑わない。


何不自由なく生活していても、幸せとは限らない。


自分のモノサシと、他人のモノサシは違うし、キャパも違う。


「普通」というくくりで、がんじがらめにしたら、「普通」じゃない時、自分は異常だと思ってしまいます。


でもそれは間違い。


だって、それぞれがそれぞれの「普通」を持っているから。


私の「普通」は強迫性障害という病と共存しているということ。


でもそれは、強迫性障害じゃない人にしたら「普通」じゃないですよね。


人と違うことを怖がらないで、人と違う人を特別扱いせずに生活できる世の中になると良いなぁと思います。

前を向く

5年前、私は主人の転勤で初めて地元を離れました。

生活はとても楽しく、充実していたのですが、どうしても人になじめず…

そのせいか仕事がうまくいかず、バイトを転々としてしまいました。

そして、強迫性障害の症状も色濃く出てくるようになります。

例えば、出かける前に何度も何度も家じゅうの施錠確認をする、仕事で作成した資料を何度も読みかえす…など。
施錠も資料も確認すればするほど何が正しいのか分からなくなります。

そして前に進めない。

毎日毎日仕事と仕事以外で、疲労困憊でした。

こんな辛い思いをしてまで働かないといけないのか…

そう考えたとき、ある行動に出ました。

まずはぼやっと、
「強迫性障害 仕事 辛い」
などのネット検索を。

そこから、強迫性障害にも保証があることを知ります。

それが障害年金でした。
簡単に言えば障害者がもらえる年金の事です。

基本はうつ病患者が対象らしいですが、私は若干抑うつも入っていたので、もしやと思い調べまくりました。

とはいえ、知識もないので、すぐプロの社労士事務所で無料相談をお願いすることに。

優しそうな女性だったので、とても安心しました。

様々、症状の質問をされましたが、この症状なら障害年金貰えますよとのこと。

手続きは、お金はかかりますが、自分ではできないし、負担が大きいと思ったので、すべて社労士さんにお願いしました。

帰り際、社労士さんが一言。

「障がい者手帳は取得予定ないのですか?」

正直私には縁のないことだと思っていたので、驚きました。

「私でも取得できるものなのですか?」

恐る恐る聞いてみましたが、障害年金を受給できれば比較的簡単に取得できるのだそう。

なんだか目の前が少し明るくなった気がしました。

結果、時間はかかりましたが障害年金も無事受給できることが決まり、障がい者手帳も取得できました。

何事も調べなければ分かりません。

税金は、勝手に徴収されてしまいますが、個人の得になることは誰も教えてくれない。

こんな保障があることも、私が受けられることも一歩踏み出さなければ分かりませんでした。

障害年金受給決定通知書が自宅に届き、社労士さんに伝えた時、

「本当に良かったです!」

と喜んでくれたことが、とても嬉しかったです。

生きにくいなと感じるときは、自分の心のSOSのサインです。

自分を救えるのは自分しかいないと今はよく分かりました。

私について

まずは簡単に自己紹介からします。

私は、現在夫と猫とゆるゆる暮らしている43歳主婦です。

扶養内で事務パートはしていますが、フルタイムではありません。

ブログを始めようと思ったきっかけは、私の病気が関係しています。

私がこの病気になったのは、20年ほど前。

当時、ホルモンバランスの病気である、バセドウ病になってしまいました。

バセドウ病は、疲れやすいとか、脈が速くなるなどの症状のみで、さほど辛いものではありませんでした。

しかし、少しして、ある異変に気付いたのです。

当時正社員で事務職として働いていたのですが、小さなことが気になるようになりました。

例えば、汚いであろう場所を触ってしまった、トイレが汚かった、手は洗ったけど体の他の部分が汚い気がする。

そんなことが頭の中を占領するようになり、仕事帰りの車の中で、1日の気になる出来事を頭の中で何度も反芻するようになりました。

そして、ひとつひとつ、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせます。

頭では、そんなの気にしなくても大丈夫だとわかっているのに、心が許してくれない。

ようやくなんとか自分をなだめて、家に帰ることができます。

しかし、家でも手を洗う回数が異常に増えたり、お風呂時間が異常に長くなったり、目に見えて異常行動が増えました。

当時実家暮らしだったため、水道代が異常に増えたことに母が怒り、私を監視するようになりました。

「そんなに何度も手を洗わなくても大丈夫」

と、怒られても、やめられません。

自分で納得するまで行動しないと気が済まないのです。

そんな気が狂いそうな日々の中、父が病院へ行くことを提案してくれました。

当時はそんな病気があることも知らなかったし、まさかその症状が病気とも思いませんでした。

ただ、自分を責める日々だったのです。

病院へ一緒についてきた母は、先生にまくしたてました。

シャンプー代、水道代、言うのはお金の事ばかり。

寡黙な先生がその症状を聞いて、言った一言は

「強迫性障害ですね」

でした。

十分な説明もなく、もちろん聞いたことのない病名で、今のようにネットの普及している時代でもないため、自分で詳しく調べることはできませんでした。

しかし、病名があったんだ、私は病気なんだということにとても安堵し、涙が溢れました。

その後もらった薬は合わず、吐き気や眩暈と戦いました。

母は無理やり私に薬を飲ませようとしましたが、再度病院へ行き、症状を話したらすぐに薬を変えてくれました。

手洗いや、お風呂時間は短縮されたものの、それでも昔のように生活はできていません。

今は、この病気とは一生付き合うしかないのだと思っています。

ブログでは、病気の事を中心に日々の生活を綴っていきたいと思います。

同じ悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。