時間の使い方

フルタイムで忙しなく働いていた時に比べたら時間の使い方が下手になったなと思います。

当時は少ない時間でも予定を組み込んでうまくタスク消費をしていました。

今は正直無理です。

時間に余裕がないと焦りますし、空いた時間に何か予定を入れて1日のスケジュールを満タンにしたくないです。

それはそれで充実しているのでしょうが、今の私には難しいですね。

時間に追われるより、ゆったりのんびり生きたい。

それが今のスタイルです。

ただ、強迫性障害には時間が無い方が良いのかもしれないと思う時があります。

時間があればあるほど確認に費やしてしまいますから、時間が短ければ確認も短くて済みます。

ただ、短い時間だと相当プレッシャーがかかるので、身体には悪いと思いますが。

最近は夫の助けもあり、確認行為を最小限に抑えることができています。

ただ、これは根本的解決にはなっていないことは分かっているのです。

逃げているだけ。

それでも、本当に辛い時は逃げてもいい、自分が自分らしくいるために必要ならば。

そう思って生きています。

不運の連鎖

1ヶ月ほど前に、夫が定期を無くしてしまいました。

定期入れには名刺や、会社支給のカードなども入っていたため、始末書を書くことになるなど、大変なことに…。

だいぶ落ち込んでいたので、私も慰めたりしました。

夫も相当落ち込みましたが、なんとか定期も再発行し、元気を取り戻した現在。

なんと私まで定期を無くしてしまったのです。

ショックでした。

夫とは違い、定期のみ入ったパスケースだったので、被害は少ないですが、それでもダメージを受けました。

自業自得とはいえ、落ち込みます。

なくしたであろう場所を探し、駅でも調べてもらい、警察へも行きましたが、ありませんでした。

利用停止処理だけはしたので良いのですが、ショックは大きいです。

しばらく落ち込むと思います。

無くした事もショックなのですが、自分のズボラさに腹が立ちました。

今までそんなことはないと思っていたので余計ショックだったのかもしれません。

大丈夫だろう、という過信はいけませんね。

そういえば、スマホを変えた時もスマホを落としたり無くした場合の補償に入らなかったのですが、機種変更後1週間で、スマホを落として傷が付きました。

ショックでしたね。

スマホを落とした事などなかったのに、なぜ、今このタイミングでと思いました。

何事も危険予測は大事です。

私はいけるだろう、私は大丈夫だろう、はダメなのです。

絶対大丈夫なんてことはありません。

万が一の被害を最小限にするために、日頃の備えは大事だと学びました。

ちなみに定期入れはカバンに付けられる、リール付きのものに変えました。

転職

今の土地に来てから5年経ちますが、その中で私は5回転職しています。

最初の会社には2年ほど勤めましたが、他は1年ももちませんでした。

休職期間もあったり、内職なんかもしたりしていました。

夫がいるおかげでこんなワガママが通じたのだと思っています。

転職の原因は色々ありますが、まずは私の物覚えが悪いことが影響しています。

また数字にとても苦手意識があり、実際弱いです。

簡単な計算などでも、不安で何度も確認し、時間がかかってしまいます。

物覚えが悪いことに加え、仕事も遅く、速さも正確さもないです。

その事に対して何か言われると一気に萎縮し、もう無理だと諦めてしまいます。

仕事を変えたからと言ってリセットされる訳ではないのに、結果仕事を変えるのです。

元々最初の会社でメンタルを痛めつけられ、傷が癒えないまま転職したので、正直まともに働ける訳がなかったのです。

最初の会社を辞め、そんな理由で3社転々としました。

その後今の会社に入社しましたが、不安でいっぱいでした。

しかし、トレーナーの社員の方が仕事を丁寧に教えてくれたので、かなり助かりました。

何度もでも分からなかったら聞いてくださいと言ってくれたのも嬉しかったです。

ただ、その方がどうという訳ではなく、私は見られながら仕事をするのがどうにも難しく、プレッシャーがありました。

そして余計なミスをするのです。

それで辞めようか考えていましたが、今はその方が在宅で働いているため、良い職場環境になっています。

そしてなんとか1年たちました。

今は自分に合った働き方だと思っています。

色々な仕事をして良かったのは、柔軟性が身についたということです。

色んな会社があり、社内の雰囲気や、社内ルールも様々です。

転職が多かったせいか、それはどこでもすんなり受け入れられます。

学校卒業から定年まで、同じ会社に勤めるのは理想だと思いますが、転職組にもメリットはあるのです。

その分もちろんデメリットの方が多いですがね。

でも私は転職が多いことは後悔していません。

色々経験できて良かったと思っていますし、今後また夫の転勤でどこかへ行っても大丈夫です。

そこは大丈夫な自分になりました。

地獄のランチ会

うまく笑えていない気がしました。

笑顔が引きつっているような感覚があったのです。

それは、気が合わない職場の同僚たちとランチに行った時でした。

人数が多い方が助かります。

無理に話さなくてすみますから。

しかし、私はどちらかと言うと、大人数で飲み会などをした時、会話の輪から外れてしまうタイプです。

人数が多いと、始めは全員で話していても、そのうち2~3人に分かれて話しをするようになります。

私はその会話からあぶれて1人になってしまうのです。

積極的に会話に入るのも、なんだか邪魔な気がして気が引けますし、かといって大人数の中で1人なのは、ひとりで居酒屋に入るより孤独です。

そしてどうしようもなく惨めなのです。

ただ、人の話しを聞いて笑顔で相槌を打てば良いだけなのに、私は笑顔すら作れませんでした。

昔から、感情が表情にすぐ出る子供でした。

今でも変わりません。

私はそのランチがつまらなくて仕方なかったのです。

会社の愚痴やつまらない噂話をただ聞くだけの、苦痛の時間です。

でもランチに誘われて断る勇気はありません。

断ったら、その後何を言われるか分からないし、職場で上手くやるためにはそんなランチ会も必要だと思っています。

内心、二度と誘わないで欲しいと思っていても、誘われなくなったら終わりとも思っています。

こんな自分がたまらなく嫌で、家に帰ってからも
「今日の言動はダメだったかな」
とひとり反省会をするのも嫌です。

つまらないランチ会のために、心を痛め悩まされるのがしんどいです。

いつの頃からか自分の殻にとじこもるようになり、殻の破り方を忘れてしまいました。

夫には何でも話せるのに、他人とは何を話して良いかまったく分からなくなるのです。

コミュニケーション能力のある方なら
「話す内容なんてなんでも良いのに」
と思うかもしれませんが、私には「なんでも」が難しいです。

自分のコミュニケーション能力の低さにガッカリしますね。

頭では別に嫌な相手とは付き合わなきゃ良いし、そんな人には嫌われても良いと思うのに、実際は嫌われるのが怖いのです。

好かれなくても、嫌いにはならないでほしいのです。

家に帰るとほっとします。

ここは私のお城ですから。

働くのはストレスがつきものですが、適度に発散して仕事を乗り切ります。

防衛本能

いつの頃からか、人との距離のとり方が分からなくなってしまいました。

以前勤めていた会社では、気が合わない人と無理に溶け込もうとして、人間関係に疲れてしまった経験があります。

今は逆に気の合わない人と、一切絡まず、距離を置いています。

それはそれで正直疲れます。

どちらが良いのか分かりません。

ちょうど良い距離感が分からなくなりました。

仲の良い人や、気の合う人とは積極的に仲良くできるのに、適度って難しいですね。

昔は平気でしたが、他人に変に近寄られるのも嫌になりました。

電車やバスでは致し方ないことなのに、どうにも嫌なのです。

マスク生活が終わり、匂いに敏感な私には人の匂いが嫌なのかもしれません。

また人の話し声も敏感に聞こえてしまうので、嫌な噂話や、悪口が聞こえるのが嫌なのもあります。

自分のことを繊細だとは思っていませんでしたが、かなり繊細なのかもしれません。

強迫性障害が色濃く出ると、こんな症状も強く出ます。

自分の殻にこもっているのが良いとは思いません。

孤独が好きな訳ではありませんから。

でも、社会では自分の身を守るために殻にこもるしかないのかもしれません。

きっと自分なりの防衛本能なのですね。

「頑張って」

いつもではないのですが、昔から空腹になると手が震えていました。

そういう時は、何か口に入れないと倒れそうになるので、チョコや蜂蜜飴を緊急用に持ち歩いています。

昨日はまさにその日で、疲れも半端なかったです。

今日もそうなのかと思うと仕事が憂鬱ですが、弱音ばかりではいられないので、頑張りたいです。

頑張るといえば、
「頑張って」
という言葉はうつ病の方には言ってはいけないそうですね。


言葉は時に刃にも薬にもなります。

使い方を誤れば人を簡単に傷付けられる凶器、そして傷を治す万能薬です。

でも難しいですね、相手がどう捉えるかなんて分からないし、自分は良かれと思って深く考えずに言った言葉が相手には地雷だったりします。

多分心が傷付いている時は、何を言われても刃にしか捉えられないのだと思います。

もちろん心が元気でも、悪意のある言葉には傷付きますけどね。

ただ、「頑張って」の言葉も、相手が気持ちを込めて言ってくれたことなら、伝わるんじゃないかと思うのです。

大事なのは言葉に込められた気持ちなんじゃないかなぁと。

言い方ってありますよね。

ぶっきらぼうに「頑張って」と言われても「せいぜい頑張れば」程度の嫌味にしか聞こえません。

でもずっと応援してくれている人に「頑張って」を言われたら誠意を感じます。

気持ちは言葉にあらわれます。

私もふとした言葉で誰かを傷付けないよう、誰かを元気にできる言葉が言えるよう、日頃から言動には注意したいです。

スポンジ

過去のことを思い出して恥ずかしくなることがあります。

あの時あんな言動をしてしまったと、思い出して後悔し、自分を責めるのです。

意味のないことですね。

だって過去は変えられないし、やってしまった事は取り返しがつきません。

でも別に犯罪を犯している訳ではないし、周りは意外と自分のことなど見ていないものです。

気にしなくても良い、分かっていても気になるのです。

だったら同じ過ちを繰り返さないよう、今後頑張れば良い。

そう気付いて少し気持ちが楽になりました。

ただ、気持ちが落ち込んでいる時はそんな前向きな考えも虚しく、マイナスの感情がどんどん私の中に流れ込んでくるのです。

私は嫌な感情をスポンジみたいに吸収します。

そうするとスポンジが重くて身動きが取れなくなり、結果気持ちはどん底に沈むのです。

昔あった嫌なことを思い出して自己嫌悪し、自分で自分を苦しめます。

スポンジはどんどん膨らみ、悪循環です。

どん底まで落ちると、スポンジも吸収するものがなくなり、ようやく私は少しずつ這い上がることができます。

ただ、どん底に落ちるのは早いのに、這い上がるには時間がかかります。

だから、なるべく落ちたくないのです。

でも私は落ちる時はどん底まで落ちないと這い上がれないらしく、中途半端に落ちてすぐに這い上がることができません。

不器用なんですね。

だから、私の心のスポンジは刃をどんどん吸収してしまうのです。

でも絶対に絶対に這い上がる。

そうやって私は今日もストレス社会を生きていきます。

眠気

定期的にどれだけ夜寝れていても昼間の眠気が酷い時があります。

休みの日は、朝の家事を終わらせたら寝て、お昼を食べるために起きてまた寝る、そんな感じで正直勿体ない休日を過ごすことが多々あるのです。

休日は思いっきりダラダラして、ぼーっとするのは心と身体の回復に重要だとは思うのですが、さすがに寝てばかりだと1日が早いし、余計疲れます。

病院でも相談したことがあるのですが、私が飲んでいる薬にそこまで眠気が出るものはないらしいです。

薬のせいではないとなると、原因が何なのか、正直分かりません。

ただ、眠気について調べていると、うつ病だと眠気が酷いことがあるそうです。

特に秋冬など季節も関係するそう。

まだまだ暑い日が続きますが、季節は秋です。

私ははっきり、うつ病と診断された訳ではありませんが、抑うつと診断されたことはあります。

心や身体が疲れているのかもしれません。

勿体ないですが、休養期間の充電と考え、休日は眠気を我慢せずダラダラ過ごそうと思います。

昔は、休日は出かけないと勿体ない!と思っていた私も今は家が大好きです。

かといって遊びに出かけるのも好きなので、バランスよく今後も適度な休息と遊びをしていきたいです。

大人

友人が10代で将来の夢を語る中、私は将来がまったく見えない青春時代をすごしました。

私は他人より大人になるのがだいぶ遅かったのです。

それは、自分が何者なのかがきちんと分かっていなかったから。

何が好きで、何が嫌いで、それがすべて母の判断によるもので、自分ではまったく分からなかったのです。

私が好きなものは母が決める。

嫌いなものも母が決める。

それは私の意見ではなく、すでに母の意見だということすら私には分かりませんでした。

しかし、その事に気付いてからは、

「早く自立したい」

そればかりが私を支配しました。

しかし、そもそも母は私の自立を許しませんでした。

結婚するまでは実家にいるのが「普通」、そう言われ育てられました。

結果30歳を過ぎるまで、私は実家暮らしを余儀なくされることになります。

家族はこういうもの、貴方はこういう人間という偏った価値観を植え付けられたまま、ずっと生活していたのです。

おかしいことには気付いていました。

ただ、何が正しいのか分からないまま、この状況を打破するには、私は結婚するしかないと思ったのです。

しかし、最初の結婚はただ家を出たかっただけで、上手くいくはずもなく、そもそもその結婚自体、支配者が変わっただけでした。

楽しい結婚生活を夢見ていた私は、いつの間にか痩せ細った自分を見て、愕然としました。

私は何をしているのだろう…。

涙が溢れました。

元夫との将来は、正直最初から想像がつかなかったのです。

2人で老後の生活をするなんて、考えることすら難しいことでした。

私は元夫を愛してはいなかったのです。

結婚生活は2年という短さで幕を閉じました。

私はその短い結婚生活で、元夫に料理を褒めてもらったこともお礼を言われたことも一度もありません。

実家もそうだし、結婚はそういうものだと思っていました。

2度目の結婚は正直、怖かったです。

また同じことを繰り返すのではないか、私は誰かと一緒に暮らせるのか。

しかし、心配とは裏腹に生活はとても楽しいものでした。

夫は私の料理をいつも最大限に褒めてくれます。

そして、「今日もありがとう」と毎晩お礼を言ってくれるのです。

それがたまらなく幸せなのです。

私にこんな幸せが訪れるとは、昔は考えられませんでした。

今は夫との将来をすぐに想い描くことができます。

この人と幸せになろう、この人を幸せにして、私も幸せになるんだ。

それはずっと昔からそう決まっていたみたいな、そんな感覚です。

私はようやく自分を見つけ、そしていつの間にか、自分の好き嫌いがきちんと分かるようになりました。

夢もあります。

だから、私は頑張れる。

これからも私は夫と愛猫と2人と1匹で幸せを築いていきます。

強迫性障害の確認行為

強迫性障害に確認行為というものがあります。

代表的な所で言うと、戸締りを何度も何度も確認することです。

それは一度の確認では不安だから、不安を払拭するためにする行為です。

しかし確認行為をしたから、不安が解消されるのかと言うと実はそうではありません。

ではなぜ繰り返し確認行為をするのか。

それには正直意味がないのです。

繰り返し確認をしているうちに戸締りがされているかどうかも分からなくなります。

でも一度の確認では不安、その不安を払拭するために確認を繰り返し、余計不安になる。

正直、悪循環です。

それでも、冷や汗が出ようが、意識が朦朧としようがやめられない。

終わりが見えないのです。

大丈夫と分かっているのに、確認しなければ気が済まない。

どこかで無理やり確認を終わらせると、不安がずっと付きまといます。

だから、自分を無理やり納得させて確認行為を終わらせるのです。

それが強迫性障害の確認行為です。

今までの私は確認行為をする朝の出勤前だけで疲れていました。

夫にまだ話せていないうちは、夫が見ていない所で何度も何度も確認行為をするのです。

隠していたのは恥ずかしい行為と自分でもわかっていたからです。

今は夫にすべてを話し、協力してもらうことで苦しさからは逃れました。

夫に絶大な信頼を寄せている私は、夫が確認すれば、一度の確認でも大丈夫なことに気付いたのです。

それを病院で話したら、先生が「そういう人は珍しいね」と言っていました。

馬鹿らしいことに付き合ってもらって、夫には感謝しかありません。

しかし、これで解決したとは思っていません。

根本的に私は治癒している訳ではないからです。

夫が出張の時はひとりでどうにかしなければいけないし、ひとりで出かける時ももちろんありますから。

そして確認行為は戸締りに限ったことではありません。

例えば小説を読んでいても映画を見ていても、何か引っかかると、戻って何度も見るため前に進まないのです。

映画館には行けませんし、気になったまま先に進もうとしても気になった部分が頭を支配して小説や映画どころではなくなります。

根本から治すのは不可能。

それが私が出した答えです。

だから確認行為をしなくても良いように日々生活していきます。

それが今、強迫性障害と付き合っている私のやり方です。