子供をつくらない選択

私たち夫婦は子供をつくらない選択をしました。

理由は色々あります。

でもまず、子供を育てるには高齢なことが理由のひとつです。

子供を産み、育てるには歳が上になりすぎました。

夫も体力に自信がないとのこと。

私も強迫性障害を患った身、何より子供を優先させる生活は、おそらく自分が自分でなくなると思いました。

そして、私も夫も2度目の結婚です。

私は元旦那との間に子供はいませんでしたが、夫には元嫁との間に子供が2人います。

2人とも成人し、まぁ、色々複雑な家庭なので絶縁状態ですが。

そのため、また子育てをする自信がないとのことでした。

誰も親になる自信がある人はいません。

ただ、夫が子育てする自信がないと言った時、私は正直安心しました。

夫と結婚した時、子供をつくるべきか迷ったのは本当です。

しかし、それはすべて親のため、世間体のためでした。

今思えば、それでは子供をつくる資格はないです。

何より今、2人の生活で楽しいしうまくいっているのに、この生活を壊すのが怖かったのです。

迷って話し合いましたが、子なしを選び、私の親にも言いました。

父は相当ガッカリしていましたし、未だに孫を諦めていません。

子供ができたという、妊娠報告を心待ちにしています。

でも私にはその親孝行は一生できません。

今まで親の言いなりで反抗もせず、良い子でいましたが、今回は親不孝です。

でも私の人生は私だけのものだから、私は私の生きたいように生きます。

時には迷ったり後悔したりしながら、私は私と生きていきます。

お弁当の中身

繊細過ぎるのでしょうか。

少し嫌なことがありました。

会社でのこと。

「今日お昼何食べるの?」

と、さほど親しくない方から聞かれました。

「普通にお弁当です」

私は一応毎日お弁当は作っています。

中身はだいたい毎日一緒ですが。

この返事がつまらなかったのでしょうね。

「いや、中身を聞いてるんだよ」

「秘密です」

「え、これって聞いちゃダメな事なの?誰か傷つく?」

私の「秘密です」が面白くなかったんでしょう。

こんな時面白い事を言えたらと思いますが、私は会社では1人黙々と仕事をこなしていて、とても静かな人です。

そんな私が面白いことなんて言えるわけないのです。

しかも親しくもない人に。

相手は何も思っていないかもしれませんが、私はずっとモヤモヤが残っています。

その後笑って誤魔化しましたが、正直ちょっと泣きそうでした。

別にお弁当の中身なんて知られても良いじゃんと思う人がいる反面、私は恥ずかしいのです。

いつも同じの食べてると思われるのも嫌だし、なんだかプライベートを見られているようで嫌です。

なんでもない出来事ですが、私には大事です。

ずけずけ言うのは、気心の知れた仲間内だけにしてほしい、そう思いました。

こんな事気にする価値もないのに、グチグチ考えるのが私の悪いところです。

陰口を言われているのではないか、そんな妄想もします。

言いたいヤツには言わせておけば良い。

そう、頭では分かっているんですが、心が追いつかないです。

しばらく嫌な気分を引きずりますね、これは。

不安との戦い

私は毎日不安と戦っています。

朝は戸締りの不安。

これは夫と一緒に確認してもらうことでかなり楽になりました。

通勤中は、階段から落ちるんじゃないか、転ぶんじゃないか、何か物を落としていないか、の不安。

これは毎日付きまといます。

そのため階段は落ちないようゆっくりですし、荷物は常にぎゅっと持っています。

出社後はタイムカードをちゃんと押せたか何度も確認。

別に押せていなくても月末にまとめて申請できるのに、確認しないと気がすみません。

お昼は、周りに人が居るため、むせったらどうしよう、こぼしたらどうしよう、の不安。

そのため誰よりゆっくり丁寧な動作で食事します。

帰りもタイムカードの不安や、事故の不安と戦い、夜寝る前は明日寝坊したらどうしようの不安と戦うのです。

日々自分との戦いです。

無駄なことを考えても仕方ないのに、延々と考えてしまう、強迫性障害の私には無駄にできる時間など1秒もないのです。

それでも安らげる時間があるから、私は私でいられます。

張り詰めていた時間があればあるほど、ゆとりの時間が有難く感じるのです。

何も考えず、ただ流れに身を任せる時間が至福の時です。

他人には無駄に思える時間も私には貴重な時間なのです。

偏見

会社に、メンタルの病気で休職している方がいます。

その方を駅前で見たと言っていたパートの女性がいました。

その話を聞いた周りの反応が、
「なんだ、元気に出歩けるんだったら会社にも来れるのにね」
でした。

勘違いしないでほしいですが、うつ病やメンタルの患者さんがずっと引きこもりかと言ったらそんな訳ないです。

一人暮らしなら尚更、元気じゃなくても出かけなければ食料調達もできません。

そして誰か友人と会ったり、遊びにだって気分転換で出かけます。

それは悪いことなのでしょうか。

心が傷付いているのだから、傷を癒すため、好きなことをしなければいけません。

驚いたのが、1人のパートさんがそう言った時、全員が共感していたことです。

「なんだ元気じゃない」
私は何も言えませんでした。

こんな時反論できる強靭なメンタルが欲しいです。

元気かどうかは、本人が決めることであって、周りが決めつけることではありません。

少なくとも、休職しているその方は元気で遊びあるっている訳ではないです。

なんだか悲しい気持ちになりました。

こんな偏見がいつかなくなると良いと思います。

昔は私の強迫性障害も知名度ゼロでしたが、今は多少は知られる病気になりました。

そんな風に世の中が少しずつ変わって行けたら、メンタルの病気の人も生きやすい世の中になるんじゃないかと思います。

障害年金と障害者手帳

強迫性障害の症状が色濃く出てきて、最初に思ったのは、なぜこんなに辛いのに働かなければいけないのかということでした。

怪我や目で見て分かる病気と違い、メンタルは分かりにくいです。

それでも、こんなに辛い思いをしても、世の中は何もしてくれないのだと、絶望していました。

しかし、必死になって色々調べたところ、「障害年金」について知ったのです。

障害年金とは所定の障害の方に支給される公的の年金です。

とはいえ、何も分からないので、まずは社労士さんに無料相談することに。

はじめての面談は緊張しましたが、社労士さんは女性の方で私の病状などやさしく聞いてくれました。

ある程度質問が終わり、この症状なら障害年金が貰えると思いますよとのこと。

なんだか目の前が開けた気がしました。

面談終了後の帰り際、社労士さんが「障害者手帳は申請しないのですか?」と。

びっくりしました。

私程度の症状でも取得できるものなのか聞いたところ、障害年金受給者は比較的簡単に取得できるそうです。

目からウロコでした。

いや、棚からぼたもち?

どちらにせよ、手続きもお金はかかりますが、そのまま社労士さんにお願いすることに。

もし障害年金が貰えない場合は、料金は発生しません。

しかし、面談ですぐにお願いしようとしたところ、「1度ご家族と話されてからの方が良いですよ」と、社労士さん。

気が変わらないうちにすぐ契約させるのではなく、きちんと相談した方が良いと言ってくれた社労士さんを、本当に信頼できると思いました。

帰ってすぐ夫に相談し、後日契約。


しかし、病院で障害年金を申請したい旨を伝え、先生に診断書を書いてもらおうとしたところ、怪訝な顔をされ「結婚してるよね?家計が苦しいの?」と聞かれました。

結婚していても、申し訳ないですが夫の給料だけでは心もとないです。

それは話しましたが、なんだか嫌な気分にはなりました。

結婚していても辛いのは変わらないですから。

それから、障害年金の受給者証が届くまで3ヶ月ほど。

社労士さんに受給者証が届いたことを連絡すると、とても喜んでくれました。

その後障害者手帳申請で1ヶ月。

まさか私が障害者になるとは思いませんでした。

正直並大抵の覚悟ではありません。

でも今はそのおかげで、少しですが、ゆとりのある生活ができています。

何も行動しなければ始まらない。

生きにくいと感じたらそれは、心のSOSのサインです。

世の中は、勝手に税金は徴収しても、弱っている人に手を差し伸べてはくれません。

自分から行動するのが大事なのだと学びました。

障害者はずるいと言われることもありますが、その分辛い思いをしています。

それは分かってもらいたいです。

不安障害

強迫性障害に、不安障害というものがあります。

もし事故をおこしたらどうしよう、先端が尖ったものを見ると刺さったらどうしよう、今この床が抜けたらどうしよう。

心配しても仕方ないことを心配する、不安が付きまとうのです。

時に怖くなるほど妄想は強くなります。

ふとした瞬間に現われるこの不安を、私は1度脳内を空っぽにすることで払拭します。

そして楽しいことや嬉しかったことを考えるのです。

嬉しかったことや楽しかったことのストックの引き出しはいくつあっても良いものですね。

マイナスなことばかり考えてしまう時は、引き出しをいくつか開けて、マイナスな感情を上書きします。

これができるようになるまでかなりの時間がかかりました。

自分なりの気持ちの持ち上げ方は人それぞれ。

まずは自分を知らないと対策できません。

自分は今なぜ落ち込んでいるのか、何が不安なのか、原因が分かったら、根本の原因を改善します。

改善することができないものなら、忘れる努力をします。

忘れられない嫌なことも、時間が解決してくれます。

時には落ち込んでも、不安に押しつぶされても、這い上がる方法を知れば怖くない。

日々勉強です。

お酒について

私はお酒が好きです。

昔は飲み会などでしか飲みませんでしたが、名古屋に来てからは休肝日はあるものの、ほとんど毎日夫と晩酌しています。

疲れやストレスもあったのかもしれませんが、転勤してからは1日の疲れを癒す晩酌が日課になりました。

かといって、嫌なことやストレスをお酒を飲むことで発散するわけではなく、あくまでも1日頑張った自分へのご褒美です。

もちろん、アルコール依存などでもありません。

強迫性障害の薬を飲みながらなので、本来はダメなのかもしれませんが、昔通っていた心療内科の先生がこっそり「4時間あければ大丈夫」と教えてくれたのです。

全員にそれが適用されるかは分かりませんが、私にはそれが合っていました。

飲まずにストレスになるなら、飲んだ方が良いです。

この前行った瀬戸のお祭りでも、例に漏れず夫と2人でビールを飲んだりしていました。

ビールを飲み終え、次に飲むお酒が売っている屋台を探していたところ、一際景気よく客引きしているお酒の屋台を発見。

すると1人の男性が
「お姉さん!甘いカクテルもあるよ!」と私に声をかけてきました。

だいぶイラッとしてしまったんです。

女性がみんなカクテルしか飲まないと思うなよと…。

私はお酒全般好きですし、何の種類も好きですが、甘いものしか飲めないと思われたのが心外すぎて、そこで1番度数が高いであろう日本酒を注文したのです。

日本酒は1番好きなお酒ではありますが、ちょっとしたあてつけでもありました。

嫌な性格ですね、自分。

でも、店員さんがちょっと意外な顔をしていたのが少し嬉しかったです。

小さいですね、私。

でもこれが私で、多分変えられない。

変なプライドがあるんですね。

あまりこういう性格は出さないようにしたいです。

ちなみにその日本酒は、びっくりするほど美味しかったです。

これは結果大成功でした。

富山県のお酒で、「満寿泉・貴醸酒・生酒」。
気になった方は是非。

不調

今日はとてつもなく体調が悪いです。

周りの音が気になって、仕事に集中できません。

そして、できたデータを何度も確認しないと前に進めないのです。

確認だけで時間がかかってしまい、仕事が思うように捗らず、歯がゆいです。

完璧を求めすぎるからこうなるのでしょうか。

ミスが怖いのです。

そして、夜はしっかり寝れているはずなのに眠気も酷く意識が飛びそうになることもあります。

体調が悪い時は何をしてもどうしようもないです。

嫌な確認行為も本能にしたがってやるしかない。

でもその確認が常習化しないように気をつけねばいけません。

昨日はこれだけ確認していたのに今日は1回の確認で終わるのはおかしい、と思ってしまい、1回の確認で大丈夫なところを無駄に何度も儀式のように確認してしまうからです。

無駄な確認はなるべくしたくないですし、確認すればするほど余計に分からなくなることも多々あるので、それだけでメンタルが崩壊しそうになります。

体調が良くなったら5回していた確認を1回にできるようにする。

それが今の目標です。

目標は小さく沢山あった方が良い気がします。

小さな目標でも達成した時には達成感がありますし、次の目標もたてやすいです。

今日はゆっくり仕事をこなし、休みの明日は1日泥のように休みます。

原因なき不機嫌

最近自分でも分かるほど私は不機嫌です。

夫には本当に申し訳ないです。

不機嫌の原因が何なのか、考えてみましたがおそらく理由のない不機嫌です。

更年期でしょうか…。

確かに汗もかきやすいですし、メンタルも不安定です。

強迫性障害の影響かと思っていましたが、これはそれだけではなさそうです。

イライラしていると、普段普通にできている家事も失敗したりします。

それにより更にイライラして悪循環なのです。

そしてイライラしたことにより、後悔するのです。

これはどうにかしなければいけません。

こんな時立ち上がる方法は自分で分かっています。

まず、頭をからっぽにして、ただぼーっとします。

すると、喉が渇いたとかお腹がすいたなどの感情がまず出てきます。

何を飲みたいか、何を食べたいか、好きなものを選択します。

そして喉を潤しお腹を満たすと、不思議と自分の興味があることに感情がシフトします。

映画を見たいとか、ちょっと出かけようかなとか。

好きなことをしているうちに、自然と気分も持ち直しているのです。

もし、何もする気がおきなかったら、うつ病のサインなので、その時は病院へ行きますが。

今週末は、自分の素直な感情に従う週末にしようと思います。

鏡の自分

鏡の中の自分が、自分ではない気がする時がありました。

前の仕事で心身共に疲れていた時です。

私ってこんな顔だっけ…?

こんな表情だった?

すべてが分からなくなった時がありました。

でも誰にも言えずにいました。

同じ頃、今まで大丈夫だったはずなのに、階段を降りるのが怖いと感じるようになったのです。

これはいよいよおかしいと思いました。

私の中で何かが悲鳴をあげている、と。

すぐに仕事を休み心療内科へかけこみました。

診断は抑うつ。

強迫性障害と並行し、病状は悪化していたのです。

私はすぐに仕事を辞めました。

身体を壊してまで働きたくはありません。

どんなに会社のために頑張っても、会社は何もしてくれませんから。

今は鏡を見てもあんな不思議な感覚はありませんが、今思い出しても恐怖です。

自分が自分じゃない気がするなんて。

ちなみに階段は今も怖いままですが、階段を降りるペースが格段に落ちただけで日常生活に支障はありません。

強迫性障害を患っていると、嫌な数字に敏感になったり、先端が尖っているものに恐怖を覚えたり、小さな恐怖が付きまといます。

薬を飲んで症状が落ち着いてはいても、克服はしていません。

日常生活に縛りや、不自由さを感じながら生きていくしかないのです。

でもそれがすべて不幸かと言うとそうでもないです。

繊細で敏感な私は、周りの知らなくても良いことまで感じ取るだけではなく、知っておいて良かったことも感じることができます。

プラスではなくても、プラマイゼロ。

そう考えてこれからも、強迫性障害と共に生きていきます。