活字

最近、活字を読みたいのに、読めなくなってしまいました。

集中できないのです。

漫画でも小説でも、昔は大好きだったのに、今はなぜか頭に入ってきません。

なぜなのか、理由もよく分かりません。

元々、テレビ好きではありませんでしたが、最近はテレビも見ません。

興味のある番組がやっていないからです。

唯一今興味があるのがYouTubeです。

プロの作った番組より、素人の作った動画の方が良いのは何だかおかしいような気がしますが。

ただ、あまり何も考えずに見れるのが良いのかもしれません。

映画やドラマも色々考えてしまって頭に入ってこない時があります。

それは些細な出来事や、言葉です。

気になると先に進めません。

自分でもおかしいとは思いますが、何か気になる言葉や出来事があると、調べなければ気がすまなくなり、先を見れなくなるのです。

結果、ストーリーが頭に入らなくなります。

小説も何度も同じ行を読んだりして前に進めない時があります。

漫画もストーリーを何度も見直すため、前に進めません。

結果、本一冊すら読めないのです。

強迫性障害になってから、このようなことになりました。

本すら読めない私は情けないです。

たまには物語の世界に浸りたい時もあるのにできないのです。

物語の世界に入ると、時間を忘れて、現実を忘れることができます。

主人公と一緒に一喜一憂することはもうできないのでしょうか。

でも、他の人ができていることが私にはできないからと言って、嘆いたりはしません。

私にも出来ることがあると信じているからです。

何かと聞かれると困りますが、私にも、私にしか出来ないことがきっとあるはずなんです。

きっと…を絶対に変えるため、私は日々悪戦苦闘します。

ゆめ

昔から文章を書くのが好きでした。

作文コンクールなどでは何度も入賞させてもらったりして、将来は漠然と小説家になりたいなんて思っていました。

でも、自分がなんとか書き上げた小説を読み返し愕然としたことがあります。

文章力がない上に、基本から全てがダメだと。

かといって、一から学ぶほどの情熱はありませんでした。

大人になり、せめて文章を書く仕事をしたいと、ライフハック記事の執筆の業務委託をしたこともありました。

しかし、何度も何度も修正が入り、結果自分の考えた文章とは全く違うものが出来上がる、なんてことを繰り返し、長くは続かず辞めました。

書くのは好きだけど、好きなだけで上手くは無いから仕事にはしない方が良いと考えていた時です。

ふと、急に何の脈絡もなく、ブログを始めたいと思うようになったのです。

きっかけは本当に何も無く、ただ漠然とでした。

そこで色々調べ、最初は無料ブログをはじめました。

しかし、長く続けるならと、サーバーレンタルをすることに。

実はサーバーレンタルをするのは2度目です。

最初は、反響も分からず何も分からないまま何記事か書いて辞めてしまいました。

しばらくして、やっぱり腰を据えてはじめたいと、書き始め、今に至ります。

今は、書くことが何より楽しく、ライフワークになっています。

石の上にも三年、まずは3年を目標に続けていきたいです。

もちろん、その先も続けるつもりでいます。

昔は例えば、小説を書き上げても、発表できる場がありませんでした。

今は、小説サイトや、ブログサイトも充実していて、良い世の中ですね。

多くの才能を眠らせずに済みます。

自分が何をしたいかは、何ができるかより難しい問題だと思います。

小さな頃から揺るがない夢がある人は別かもしれませんが、それでもきっと周りの環境に左右されて、大人になったら夢を忘れてしまうかもしれない。

でも大人になっても夢を持って良いのだと、最近よく思います。

こうして、ブログを続けられることは幸せなことです。

いつか、私の夢も夢でなくなる日が来るのでしょうか。

努力したから叶うものではありませんが、自分が後悔しないよう、できることはすべてやり切りたいです。

強迫性障害の確認行為

強迫性障害に確認行為というものがあります。

代表的な所で言うと、戸締りを何度も何度も確認することです。

それは一度の確認では不安だから、不安を払拭するためにする行為です。

しかし確認行為をしたから、不安が解消されるのかと言うと実はそうではありません。

ではなぜ繰り返し確認行為をするのか。

それには正直意味がないのです。

繰り返し確認をしているうちに戸締りがされているかどうかも分からなくなります。

でも一度の確認では不安、その不安を払拭するために確認を繰り返し、余計不安になる。

正直、悪循環です。

それでも、冷や汗が出ようが、意識が朦朧としようがやめられない。

終わりが見えないのです。

大丈夫と分かっているのに、確認しなければ気が済まない。

どこかで無理やり確認を終わらせると、不安がずっと付きまといます。

だから、自分を無理やり納得させて確認行為を終わらせるのです。

それが強迫性障害の確認行為です。

今までの私は確認行為をする朝の出勤前だけで疲れていました。

夫にまだ話せていないうちは、夫が見ていない所で何度も何度も確認行為をするのです。

隠していたのは恥ずかしい行為と自分でもわかっていたからです。

今は夫にすべてを話し、協力してもらうことで苦しさからは逃れました。

夫に絶大な信頼を寄せている私は、夫が確認すれば、一度の確認でも大丈夫なことに気付いたのです。

それを病院で話したら、先生が「そういう人は珍しいね」と言っていました。

馬鹿らしいことに付き合ってもらって、夫には感謝しかありません。

しかし、これで解決したとは思っていません。

根本的に私は治癒している訳ではないからです。

夫が出張の時はひとりでどうにかしなければいけないし、ひとりで出かける時ももちろんありますから。

そして確認行為は戸締りに限ったことではありません。

例えば小説を読んでいても映画を見ていても、何か引っかかると、戻って何度も見るため前に進まないのです。

映画館には行けませんし、気になったまま先に進もうとしても気になった部分が頭を支配して小説や映画どころではなくなります。

根本から治すのは不可能。

それが私が出した答えです。

だから確認行為をしなくても良いように日々生活していきます。

それが今、強迫性障害と付き合っている私のやり方です。