制約

私の生活には制約が多すぎます。

私はYouTubeが好きでよく見るのですが、中でも丁寧な暮らしのYouTuberさんが好きです。

それに影響され、YouTubeを作る側になりたいと考えた時もありました。

しかし、YouTubeをはじめたくてもはじめられない訳が私にはあります。

そもそもまず、生活に確認が多すぎて見る方をイライラさせてしまうでしょう。

YouTuberさんは、俳優でありカメラマンであり、優秀な編集者でなければいけません。

トップクラスの方々は、やはり動画の構成も上手だと感じます。

それに比べて私には何も無い。

俳優でもカメラマンでも、編集者でも、勉強し、努力でどうにかなるかもしれません。

ただ、何かをはじめたくても強迫性障害が壁になり私の前に立ちはだかります。

強迫性障害が努力でどうにかなるなら、とっくに努力しています。

血のにじむような努力をしても、強迫性障害と別れられるなら、そう、何度考えたでしょう。

病院や薬、カウンセリング、それらはすべて金銭が発生します。

そもそも強迫性障害のために、フルタイムで働けない私が、莫大なお金をかける訳にはいかないのです。

できる努力ならします。

でも出せないものは出せません。

日々慎ましく暮らしている私にとって、治る保証のないカウンセリングにお金はかけられないのです。

病院には薬を貰うため通っていますが、先生にも「薬でどうにかできるのはここまで」と言われました。

カウンセリングについて調べましたが、通うにはなかなかの資金が必要です。

借金をしてまで通うことはできません。

強迫性障害は個性ととらえ、付き合っていくつもりではいます。

でも何かをはじめたい、何かがしたいと思った時、必ず壁になり、私の前に立ちはだかるのです。

壁を取り払う努力をしたくても、自分ではどうしようもできません。

今後私は何かを新たにはじめるのは諦めなければいけないのでしょうか。

日々考えるばかりです。

私はわたしと生きていく

本当は周りからの心無い言葉や、行動に一喜一憂するのではなく、めげない強い心を持ちたいです。


でもいつからか、他人の言動に左右されすぎて、疲れてボロボロになってしまう自分がいることに気付きました。


だれも心の病気になんてなりたくないです。


それでも突然やってくる心の不調は、原因も人それぞれだし、病院へ行っても治るか治らないかわかりません。


私は20年強迫性障害を患っていますが、正直完全に治ることはないとおもっています。


今の生活は本当に穏やかで、幸せなものです。


それなのに、強迫性障害の症状は時に色濃く出てきて、私を痛めつけます。


この歳になって、はじめて強迫性障害で人に頼りました。


今までは自分ひとりでどうにかしなければ、周りを巻き込んではいけないと思い込んでいたのです。


頼る決心をさせてくれた夫には感謝してもしきれません。


私の無駄とも思える確認行為に付き合ってくれ、私は本当に苦行から解放されたのです。


時には誰かに頼ることも大事なのだと学びました。


ただ、それは自分が本当に心から信頼を寄せている人に限ります。


誰かれかまわず、自分の症状を言っても理解してくれる人は正直いません。


陰でなにか言われるか、薄っぺらい同情をされるかでしょう。


私は誰にも同情はされたくないです。


病気も含めて、自分の個性だから、それを可哀想なんて親しくもない人に思って欲しくない。


だから、私は周りとは極力距離をとります。


私が覚えた自己防衛のひとつです。


私はひとりで生きている訳ではないですが、薄っぺらい人間関係はいらないと思っています。


冷たいようですが、それが私です。


私はわたしと生きていくのです。