グラス

昨日の夜グラスを割ってしまいました。

楽しかった夫とのデートから帰宅してすぐに。

水を飲んだグラスを洗おうとして手を滑らせてしまったのです。

お気に入りの二重ガラスのグラスでした。

片付けも文句1つ言わず「大丈夫大丈夫」と私を元気付けながら一緒にやってくれた夫には頭が上がりません。

何で自分はこうなのか。

なぜ手を滑らせたのか。

自分を責ればキリがありません。

私はこうなると立ち上がるまでに時間がかかります。

少しのミスや、過ちを許せない自分がいます。

それは完璧主義の自分のせいです。

他人にはどうでも良いことをぐちぐち考える自分に嫌気がさします。

昨日はいつもより早く寝ました。

起きて悶々としていても意味が無い。

私の性格上、しばらく引きずるはずですから。

面倒な女なのです。

でも、夫は「今日は楽しかったね。おやすみ!」と言ってくれたので、なんだか少し気持ちが楽になりました。

早く寝て、早く大丈夫な自分になりたい。

そう、強く思いました。

時間の使い方

フルタイムで忙しなく働いていた時に比べたら時間の使い方が下手になったなと思います。

当時は少ない時間でも予定を組み込んでうまくタスク消費をしていました。

今は正直無理です。

時間に余裕がないと焦りますし、空いた時間に何か予定を入れて1日のスケジュールを満タンにしたくないです。

それはそれで充実しているのでしょうが、今の私には難しいですね。

時間に追われるより、ゆったりのんびり生きたい。

それが今のスタイルです。

ただ、強迫性障害には時間が無い方が良いのかもしれないと思う時があります。

時間があればあるほど確認に費やしてしまいますから、時間が短ければ確認も短くて済みます。

ただ、短い時間だと相当プレッシャーがかかるので、身体には悪いと思いますが。

最近は夫の助けもあり、確認行為を最小限に抑えることができています。

ただ、これは根本的解決にはなっていないことは分かっているのです。

逃げているだけ。

それでも、本当に辛い時は逃げてもいい、自分が自分らしくいるために必要ならば。

そう思って生きています。

大人

友人が10代で将来の夢を語る中、私は将来がまったく見えない青春時代をすごしました。

私は他人より大人になるのがだいぶ遅かったのです。

それは、自分が何者なのかがきちんと分かっていなかったから。

何が好きで、何が嫌いで、それがすべて母の判断によるもので、自分ではまったく分からなかったのです。

私が好きなものは母が決める。

嫌いなものも母が決める。

それは私の意見ではなく、すでに母の意見だということすら私には分かりませんでした。

しかし、その事に気付いてからは、

「早く自立したい」

そればかりが私を支配しました。

しかし、そもそも母は私の自立を許しませんでした。

結婚するまでは実家にいるのが「普通」、そう言われ育てられました。

結果30歳を過ぎるまで、私は実家暮らしを余儀なくされることになります。

家族はこういうもの、貴方はこういう人間という偏った価値観を植え付けられたまま、ずっと生活していたのです。

おかしいことには気付いていました。

ただ、何が正しいのか分からないまま、この状況を打破するには、私は結婚するしかないと思ったのです。

しかし、最初の結婚はただ家を出たかっただけで、上手くいくはずもなく、そもそもその結婚自体、支配者が変わっただけでした。

楽しい結婚生活を夢見ていた私は、いつの間にか痩せ細った自分を見て、愕然としました。

私は何をしているのだろう…。

涙が溢れました。

元夫との将来は、正直最初から想像がつかなかったのです。

2人で老後の生活をするなんて、考えることすら難しいことでした。

私は元夫を愛してはいなかったのです。

結婚生活は2年という短さで幕を閉じました。

私はその短い結婚生活で、元夫に料理を褒めてもらったこともお礼を言われたことも一度もありません。

実家もそうだし、結婚はそういうものだと思っていました。

2度目の結婚は正直、怖かったです。

また同じことを繰り返すのではないか、私は誰かと一緒に暮らせるのか。

しかし、心配とは裏腹に生活はとても楽しいものでした。

夫は私の料理をいつも最大限に褒めてくれます。

そして、「今日もありがとう」と毎晩お礼を言ってくれるのです。

それがたまらなく幸せなのです。

私にこんな幸せが訪れるとは、昔は考えられませんでした。

今は夫との将来をすぐに想い描くことができます。

この人と幸せになろう、この人を幸せにして、私も幸せになるんだ。

それはずっと昔からそう決まっていたみたいな、そんな感覚です。

私はようやく自分を見つけ、そしていつの間にか、自分の好き嫌いがきちんと分かるようになりました。

夢もあります。

だから、私は頑張れる。

これからも私は夫と愛猫と2人と1匹で幸せを築いていきます。

強迫性障害の確認行為

強迫性障害に確認行為というものがあります。

代表的な所で言うと、戸締りを何度も何度も確認することです。

それは一度の確認では不安だから、不安を払拭するためにする行為です。

しかし確認行為をしたから、不安が解消されるのかと言うと実はそうではありません。

ではなぜ繰り返し確認行為をするのか。

それには正直意味がないのです。

繰り返し確認をしているうちに戸締りがされているかどうかも分からなくなります。

でも一度の確認では不安、その不安を払拭するために確認を繰り返し、余計不安になる。

正直、悪循環です。

それでも、冷や汗が出ようが、意識が朦朧としようがやめられない。

終わりが見えないのです。

大丈夫と分かっているのに、確認しなければ気が済まない。

どこかで無理やり確認を終わらせると、不安がずっと付きまといます。

だから、自分を無理やり納得させて確認行為を終わらせるのです。

それが強迫性障害の確認行為です。

今までの私は確認行為をする朝の出勤前だけで疲れていました。

夫にまだ話せていないうちは、夫が見ていない所で何度も何度も確認行為をするのです。

隠していたのは恥ずかしい行為と自分でもわかっていたからです。

今は夫にすべてを話し、協力してもらうことで苦しさからは逃れました。

夫に絶大な信頼を寄せている私は、夫が確認すれば、一度の確認でも大丈夫なことに気付いたのです。

それを病院で話したら、先生が「そういう人は珍しいね」と言っていました。

馬鹿らしいことに付き合ってもらって、夫には感謝しかありません。

しかし、これで解決したとは思っていません。

根本的に私は治癒している訳ではないからです。

夫が出張の時はひとりでどうにかしなければいけないし、ひとりで出かける時ももちろんありますから。

そして確認行為は戸締りに限ったことではありません。

例えば小説を読んでいても映画を見ていても、何か引っかかると、戻って何度も見るため前に進まないのです。

映画館には行けませんし、気になったまま先に進もうとしても気になった部分が頭を支配して小説や映画どころではなくなります。

根本から治すのは不可能。

それが私が出した答えです。

だから確認行為をしなくても良いように日々生活していきます。

それが今、強迫性障害と付き合っている私のやり方です。

知ることと知らないこと

はじめて強迫性障害と診断されたのはまだ実家で暮らしている時でした。


母も一緒に病院へ行き、先生に水道代がバカ高いと私が症状を言うより前にまくし立てました。


寡黙な先生が言った
「強迫性障害ですね」
の言葉は今でも忘れられません。


今は、うつ病や、ADHDなどの方に優しい世の中だとは思います。


でも昔は違いました。


ネット環境もそんなに普及しておらず、自分で調べることも難しかった世の中。


強迫性障害なんて、未知の言葉は自分ですら受け入れることは難しかったです。


ただ、この辛い症状に病名があることに何故か安心して、涙した記憶があります。


それから20年ほどずっと病院には通っています。


夫の転勤で地元を離れ、今いる土地でも通院していることは両親には伝えていたし、分かっていると思っていました。


しかし、ある日父に電話で言われたことに衝撃を受けました。


今私は、甲状腺の病院にしか通っていないことになっていたのです。


あんなに辛い思いをしていた、強迫性障害がないことになっていました。


治ったとでも思っているのでしょうか。


ちなみに両親は認知症ではありません。


おそらく両親の中で、強迫性障害なんて名前も覚えられない未知の病はなかったことにしたかったんだと思います。


正直症状を話しても分かって貰えないことは分かっているので、そのまま、両親には話しを合わせています。


分かってもらおうとは思いませんが、私が病院に通っていることは知っていて欲しかった。


でも今は私の強迫性障害が、両親の中で消えている分、何も話さずに済むので逆に楽です。


病気の事は自分にしか分からないから、誰にも言わない。


そう思って生きてきました。


今は夫が最大の味方で、最良のパートナーなので、すべてを打ち明けました。


夫は知る努力をしてくれています。


だから、とても気持ちが楽になりました。


今のこの生活がとても好きです。

人生の協力者

この前、夫にブログを始めたことを話しました。

興味があったようなので

「見る?」

と聞いてみると

「いや、いい」

とのこと。

最初はあまり興味無いのかなと思ったのですが、

「赤裸々に書いてるんでしょ?」

と言ってきました。

そこで理解しました。

夫は、私だけの居場所を守ってくれたのです。

私が誰の目も気にすることなく、心情を吐露できるのはブログだと分かっての発言でした。

正直夫には見られても全然良いです。

でも気を使ってくれたのが嬉しくて、しばらくは1人でブログは楽しむことにします。

昔は強迫性障害は恥ずかしいことで、誰にも言えませんでした。

それこそ同居していた親にも言えなかったです。

でも今は強力な協力者がいます。

夫に分かってもらえればそれだけで心強いです。

強迫性障害の方の多くは、強迫観念からくる強迫行為を恥ずかしいと思っています。

私がまさにそうです。

だから隠すために必死でした。

でも一緒に暮らす夫にまで隠そうとするのは無理でした。

今は夫の支えがあって生活がとても楽です。

信頼できる協力者を得る事も、病気と付き合っていく方法だと私は思います。