説明のできない感情

私は何か合わないな、とか、何か違うなという漠然とした感情を大事にしています。

理由は分からないけど、何となくこの人とは合わないなと思う人は、後々必ず明確な理由が見えてきます。

説明のできない嫌な感情を、言葉にするのは難しいです。

そして、そんな感情を抱いてしまった相手に申し訳ない気がします。

でも、何か嫌は、必ず後々理由が分かります。

私は人の印象は第一印象で決まると思っています。

いくら取り繕っていても、やはり何かの綻びは見えますし、綻びのない人ほど物凄いものを秘めていたりします。

第一印象で人を好きになることはありませんが、第一印象で人を嫌いになることはあります。

それは私の直感が教えてくれていると思っています。

本能には従います。

かといって、急によそよそしい態度を取ったりはしません。

ただ、1歩引いて様子を見ます。

実は何も原因が分からなくても、第一印象で嫌だなと思った人には私は心を閉ざします。

人との関わりはストレスになりやすいですから、なるべくは避けたいのです。

一種の防衛本能ですね。

いじめ

狭い世界で物事を見ていると、狭い視野でしか物事を考えられなくなります。

さかなクンが「魚は広い海だと協力するのに、狭い水槽に入れるといじめが始まるのです。」というような事をおっしゃっていました。

狭い視野で見るから誰かをいじめなければ生きていけないと思うのでしょうか。

人間も一緒で、誰かの噂話や悪口を言っている時が1番生き生きした表情になる人がいます。

マウントをとりたいのでしょうね。

情けないです。

違うことを認めない、個々を個々として尊重しない、そんな人の周りには同じような人しか集まりません。

友達がいるとしたら、上っ面でしょう。

陰で文句を言うくらいなら、私は仲良くしません。

好きな人や大事だと思う人には誠実でいたいのです。

だから私は夫の文句は誰にも言いません。

文句があるなら、本人に言います。

感情的にならず、なるべく筋道を立てて言います。

喧嘩をしたい訳ではありませんから。

友人もそう。

私は友人は少ないです。

でも仲の良い人には心を許しますし、尽くします。

それは損得じゃなく、個人としてその人を認めているからです。

でも今は連絡を取り合う友人もほとんどいません。

みんな家庭があって、子供もいるし、家のローンもあるしと、それぞれに事情があって忙しいからです。

でも会えた時は楽しく話します。

今はそれで良いと思っています。

小中学校で、私はいじめとは言えない程度に疎外されていました。

友達はいなかったです。

高校になって初めて友達と呼べる友人が何人かでき、ようやく今に至ります。

だから、友人は大事にしたい。

別に上っ面の友人はいりません。

お互いを尊重し合えるような友人が何人かいれば充分です。

たまに会って近況報告をする、それだけで昔に戻ったようで楽しいです。

誰かとストレスなく話すことは、身体にも良い影響をおよぼすと聞きます。

ストレスばかりの世の中で、友人と楽しく話したいなぁと久々思いました。