私が地元に戻りたくない理由

私のいとこは3人います。

父の兄であるおじの子供です。

遠方でなかなか会うことはできませんが、実家にはたまに連絡が来ます。

ある日、おじとおばが最近軽度の認知症を発症していると聞きました。

3人の子供のうち、長女はひきこもりで、仕事もせず実家にいます。

長男は結婚し、子供もいて、近くに住んでいます。

次男は、今は遠方に暮らしていて、帰ってくる気配はありません。

そう考えた時、1番頼りになるであろう長男が両親と長女である姉の面倒を見ることになるでしょう。

それを聞いて、私は「長男くん、大変だね」と母に言いました。

次の母の返事に私は言葉を失いました。

「子供は親の面倒を見るのが当然なんだから仕方ないでしょ」

私はひとりっ子で、もちろん両親の面倒を見るつもりでいました。

しかし、それを聞いて決心がゆらぎました。

あたりまえ?育ててやったんだから、面倒見るのが当たり前なの?

私の友人や、会社の人などに話を聞いた時は全員、「子供には絶対に面倒をかけたくない」と言っていたのを思い出しました。

親は子供の幸せを願うのだと勝手に思っていましたが、私の母はどうやら違うようです。

父は私には面倒をかけたくないと思ってくれているようで安心しましたが、父より母の方に決定権があるので、母は父の言うことなど聞かないでしょう。

薄情ですが、私が地元に戻りたくないのは両親がいるからです。

近くにいれば頼られるのは目に見えていますし、私の生活にも干渉してくるでしょう。

私は今の生活が気に入っています。

それを壊されたくない。

わがままは分かっています。

でも私の人生は私だけのものです。

今は両親元気ですが、そのうち、介護が必要になる時もあるかもしれません。

その時私はどうするのか、どうしたいのか、まだ答えは出ないままです。

子供をつくらない選択

私たち夫婦は子供をつくらない選択をしました。

理由は色々あります。

でもまず、子供を育てるには高齢なことが理由のひとつです。

子供を産み、育てるには歳が上になりすぎました。

夫も体力に自信がないとのこと。

私も強迫性障害を患った身、何より子供を優先させる生活は、おそらく自分が自分でなくなると思いました。

そして、私も夫も2度目の結婚です。

私は元旦那との間に子供はいませんでしたが、夫には元嫁との間に子供が2人います。

2人とも成人し、まぁ、色々複雑な家庭なので絶縁状態ですが。

そのため、また子育てをする自信がないとのことでした。

誰も親になる自信がある人はいません。

ただ、夫が子育てする自信がないと言った時、私は正直安心しました。

夫と結婚した時、子供をつくるべきか迷ったのは本当です。

しかし、それはすべて親のため、世間体のためでした。

今思えば、それでは子供をつくる資格はないです。

何より今、2人の生活で楽しいしうまくいっているのに、この生活を壊すのが怖かったのです。

迷って話し合いましたが、子なしを選び、私の親にも言いました。

父は相当ガッカリしていましたし、未だに孫を諦めていません。

子供ができたという、妊娠報告を心待ちにしています。

でも私にはその親孝行は一生できません。

今まで親の言いなりで反抗もせず、良い子でいましたが、今回は親不孝です。

でも私の人生は私だけのものだから、私は私の生きたいように生きます。

時には迷ったり後悔したりしながら、私は私と生きていきます。

知ることと知らないこと

はじめて強迫性障害と診断されたのはまだ実家で暮らしている時でした。


母も一緒に病院へ行き、先生に水道代がバカ高いと私が症状を言うより前にまくし立てました。


寡黙な先生が言った
「強迫性障害ですね」
の言葉は今でも忘れられません。


今は、うつ病や、ADHDなどの方に優しい世の中だとは思います。


でも昔は違いました。


ネット環境もそんなに普及しておらず、自分で調べることも難しかった世の中。


強迫性障害なんて、未知の言葉は自分ですら受け入れることは難しかったです。


ただ、この辛い症状に病名があることに何故か安心して、涙した記憶があります。


それから20年ほどずっと病院には通っています。


夫の転勤で地元を離れ、今いる土地でも通院していることは両親には伝えていたし、分かっていると思っていました。


しかし、ある日父に電話で言われたことに衝撃を受けました。


今私は、甲状腺の病院にしか通っていないことになっていたのです。


あんなに辛い思いをしていた、強迫性障害がないことになっていました。


治ったとでも思っているのでしょうか。


ちなみに両親は認知症ではありません。


おそらく両親の中で、強迫性障害なんて名前も覚えられない未知の病はなかったことにしたかったんだと思います。


正直症状を話しても分かって貰えないことは分かっているので、そのまま、両親には話しを合わせています。


分かってもらおうとは思いませんが、私が病院に通っていることは知っていて欲しかった。


でも今は私の強迫性障害が、両親の中で消えている分、何も話さずに済むので逆に楽です。


病気の事は自分にしか分からないから、誰にも言わない。


そう思って生きてきました。


今は夫が最大の味方で、最良のパートナーなので、すべてを打ち明けました。


夫は知る努力をしてくれています。


だから、とても気持ちが楽になりました。


今のこの生活がとても好きです。

メイク

私の母はメイクをしません。


それどころか、化粧水や乳液もつけないし、もちろん日焼け止めもつけないです。


洗顔なんてボディータオルで石鹸でします。


それで未だにシミやシワがないのは凄いけど、肌はごわごわ。


逆に祖母は、家にいる時でもしっかりメイクをする人でした。


お手入れもしっかりしていたので、80代でも肌はツヤツヤでした。


私はと言うと、母がメイクをしたら一緒に食事をしないというので、年頃になってもメイクはできませんでしたし、メイクは悪いことだとさえ思っていました。


化粧水なんて贅沢品だと思われていたので、クリームのみドラッグストアで購入していました。


それでもまだ肌が綺麗だったのは若かったからです。


今はあの頃からもっとケアしたかったと思います。


ネットがまだそんなに普及していない、私の青春時代は、どんなことが自分の肌に良いのか、メイクはどんなものが良いのか調べる術がなかったのです。


ただ、母に言われるまま、メイクできずにいました。


子育ては、多少洗脳だと思います。


特に母に支配されていた私は、周りの女子が普通にしているメイクをしたくてもできませんでした。

周りの友人が10代で覚えることを私は家を出る30代までできなかったのです。


今になって、スキンケアには力を入れるようになりましたが、やはり若いうちからきちんとしておきたかったなと最近よく思うのです。


何事も継続です。


今は逆に情報が溢れすぎていて何が自分の肌に合っているのか試行錯誤はしていますが、それはそれで楽しいのです。


女性って面倒だけど楽しい。


今はそう思えます。

私の物語

人生には、運命の本が1冊は存在すると思います。


小説でも漫画でもエッセイでも。


最近は本を読むことがめっきり少なくなってしまいましたが、私にも運命的な本が何冊かあります。


人生のターニングポイントや、ふとした瞬間に読みたくなるそれらの本は、かけがえのないものです。


電子書籍でも良いと思う方もいるかもしれませんが、私は古い人間なのか、本がたまらなく好きなのです。


紙の質感、匂い、ものによっては分厚いハードカバー。


それらは手に持ってはじめて味わえるものです。
最近急に思い出して、古い本を引っ張り出してきました。


何故か急に読みたくなる、そんな本が運命の本なのかなぁと思います。


久々にその本を手に持って、たまらなく懐かしい、幸せな気持ちになりました。


ひとりっ子で外で遊ぶのが苦手だった幼少期の私は、絵を描いたり、おままごとをしたり、本を読んだりして遊んでいました。


ひとり遊びは得意でも、誰かと遊ぶのは苦手だったのです。


本を読んでいる時間は現実逃避して、私は物語の主人公になれた。


当時は少なからず寂しいと感じる時もありました。


でも今は思います。


私の人生の主人公は私しかいないのだと。


ドラマティックな出来事なんてなくても、私は私の物語を生きているのです。


それだけで、なんだか強くなれる気がしました。