腫れ物

私が強迫性障害を誰にも言わないのは、ただ単に心を許していないのもあります。

でも1番は腫れ物扱いされたくないからです。

多分私が友達から、うつ病だと聞かされたら通常通りに接することが難しくなってしまうと思います。

小さなことで気を使い、自分の言動に細心の注意をはらいます。

私は周りにそんなことをしてほしくはないのです。

夫に打ち明けた時も、不安はありましたが、夫は今でも変わらず接してくれます。

それって、実は凄いことです。

私にはおそらくできません。

自分はやられたくないけど、相手にそれを求めるのはわがままですが。

デリカシーがない人と、真に優しさを持っている人では対応が違うと思います。

軒並な正論を言われるより、一緒に別の話題で笑ってくれるような人が私の理想です。

「強迫性障害?なにそれ?」

位のスタンスの方が楽なのかもしれません。

かといって

「心の病気なんて気合いでなんとかなるでしょ。」

なんて言われたら、その人とは絶対に付き合えません。

自分でも正直面倒だと思います。

だから、言わないのです。

そして、なるべく面倒だと思われたくなくて無理して周りに合わせようとします。

だから余計神経がすり減るのかもしれません。

私が強迫性障害を発症した当時は、心の病気なんてまだまだメジャーではありませんでした。

今は昔よりは、メンタルの病気に優しい世の中です。

メンタルを患っていても、それを個性と捉えて尊重できるような、そんな人に私はなりたいです。

偏見

会社に、メンタルの病気で休職している方がいます。

その方を駅前で見たと言っていたパートの女性がいました。

その話を聞いた周りの反応が、
「なんだ、元気に出歩けるんだったら会社にも来れるのにね」
でした。

勘違いしないでほしいですが、うつ病やメンタルの患者さんがずっと引きこもりかと言ったらそんな訳ないです。

一人暮らしなら尚更、元気じゃなくても出かけなければ食料調達もできません。

そして誰か友人と会ったり、遊びにだって気分転換で出かけます。

それは悪いことなのでしょうか。

心が傷付いているのだから、傷を癒すため、好きなことをしなければいけません。

驚いたのが、1人のパートさんがそう言った時、全員が共感していたことです。

「なんだ元気じゃない」
私は何も言えませんでした。

こんな時反論できる強靭なメンタルが欲しいです。

元気かどうかは、本人が決めることであって、周りが決めつけることではありません。

少なくとも、休職しているその方は元気で遊びあるっている訳ではないです。

なんだか悲しい気持ちになりました。

こんな偏見がいつかなくなると良いと思います。

昔は私の強迫性障害も知名度ゼロでしたが、今は多少は知られる病気になりました。

そんな風に世の中が少しずつ変わって行けたら、メンタルの病気の人も生きやすい世の中になるんじゃないかと思います。

原因なき不機嫌

最近自分でも分かるほど私は不機嫌です。

夫には本当に申し訳ないです。

不機嫌の原因が何なのか、考えてみましたがおそらく理由のない不機嫌です。

更年期でしょうか…。

確かに汗もかきやすいですし、メンタルも不安定です。

強迫性障害の影響かと思っていましたが、これはそれだけではなさそうです。

イライラしていると、普段普通にできている家事も失敗したりします。

それにより更にイライラして悪循環なのです。

そしてイライラしたことにより、後悔するのです。

これはどうにかしなければいけません。

こんな時立ち上がる方法は自分で分かっています。

まず、頭をからっぽにして、ただぼーっとします。

すると、喉が渇いたとかお腹がすいたなどの感情がまず出てきます。

何を飲みたいか、何を食べたいか、好きなものを選択します。

そして喉を潤しお腹を満たすと、不思議と自分の興味があることに感情がシフトします。

映画を見たいとか、ちょっと出かけようかなとか。

好きなことをしているうちに、自然と気分も持ち直しているのです。

もし、何もする気がおきなかったら、うつ病のサインなので、その時は病院へ行きますが。

今週末は、自分の素直な感情に従う週末にしようと思います。

鏡の自分

鏡の中の自分が、自分ではない気がする時がありました。

前の仕事で心身共に疲れていた時です。

私ってこんな顔だっけ…?

こんな表情だった?

すべてが分からなくなった時がありました。

でも誰にも言えずにいました。

同じ頃、今まで大丈夫だったはずなのに、階段を降りるのが怖いと感じるようになったのです。

これはいよいよおかしいと思いました。

私の中で何かが悲鳴をあげている、と。

すぐに仕事を休み心療内科へかけこみました。

診断は抑うつ。

強迫性障害と並行し、病状は悪化していたのです。

私はすぐに仕事を辞めました。

身体を壊してまで働きたくはありません。

どんなに会社のために頑張っても、会社は何もしてくれませんから。

今は鏡を見てもあんな不思議な感覚はありませんが、今思い出しても恐怖です。

自分が自分じゃない気がするなんて。

ちなみに階段は今も怖いままですが、階段を降りるペースが格段に落ちただけで日常生活に支障はありません。

強迫性障害を患っていると、嫌な数字に敏感になったり、先端が尖っているものに恐怖を覚えたり、小さな恐怖が付きまといます。

薬を飲んで症状が落ち着いてはいても、克服はしていません。

日常生活に縛りや、不自由さを感じながら生きていくしかないのです。

でもそれがすべて不幸かと言うとそうでもないです。

繊細で敏感な私は、周りの知らなくても良いことまで感じ取るだけではなく、知っておいて良かったことも感じることができます。

プラスではなくても、プラマイゼロ。

そう考えてこれからも、強迫性障害と共に生きていきます。

「頑張って」

いつもではないのですが、昔から空腹になると手が震えていました。

そういう時は、何か口に入れないと倒れそうになるので、チョコや蜂蜜飴を緊急用に持ち歩いています。

昨日はまさにその日で、疲れも半端なかったです。

今日もそうなのかと思うと仕事が憂鬱ですが、弱音ばかりではいられないので、頑張りたいです。

頑張るといえば、
「頑張って」
という言葉はうつ病の方には言ってはいけないそうですね。


言葉は時に刃にも薬にもなります。

使い方を誤れば人を簡単に傷付けられる凶器、そして傷を治す万能薬です。

でも難しいですね、相手がどう捉えるかなんて分からないし、自分は良かれと思って深く考えずに言った言葉が相手には地雷だったりします。

多分心が傷付いている時は、何を言われても刃にしか捉えられないのだと思います。

もちろん心が元気でも、悪意のある言葉には傷付きますけどね。

ただ、「頑張って」の言葉も、相手が気持ちを込めて言ってくれたことなら、伝わるんじゃないかと思うのです。

大事なのは言葉に込められた気持ちなんじゃないかなぁと。

言い方ってありますよね。

ぶっきらぼうに「頑張って」と言われても「せいぜい頑張れば」程度の嫌味にしか聞こえません。

でもずっと応援してくれている人に「頑張って」を言われたら誠意を感じます。

気持ちは言葉にあらわれます。

私もふとした言葉で誰かを傷付けないよう、誰かを元気にできる言葉が言えるよう、日頃から言動には注意したいです。

眠気

定期的にどれだけ夜寝れていても昼間の眠気が酷い時があります。

休みの日は、朝の家事を終わらせたら寝て、お昼を食べるために起きてまた寝る、そんな感じで正直勿体ない休日を過ごすことが多々あるのです。

休日は思いっきりダラダラして、ぼーっとするのは心と身体の回復に重要だとは思うのですが、さすがに寝てばかりだと1日が早いし、余計疲れます。

病院でも相談したことがあるのですが、私が飲んでいる薬にそこまで眠気が出るものはないらしいです。

薬のせいではないとなると、原因が何なのか、正直分かりません。

ただ、眠気について調べていると、うつ病だと眠気が酷いことがあるそうです。

特に秋冬など季節も関係するそう。

まだまだ暑い日が続きますが、季節は秋です。

私ははっきり、うつ病と診断された訳ではありませんが、抑うつと診断されたことはあります。

心や身体が疲れているのかもしれません。

勿体ないですが、休養期間の充電と考え、休日は眠気を我慢せずダラダラ過ごそうと思います。

昔は、休日は出かけないと勿体ない!と思っていた私も今は家が大好きです。

かといって遊びに出かけるのも好きなので、バランスよく今後も適度な休息と遊びをしていきたいです。

私はわたしと生きていく

本当は周りからの心無い言葉や、行動に一喜一憂するのではなく、めげない強い心を持ちたいです。


でもいつからか、他人の言動に左右されすぎて、疲れてボロボロになってしまう自分がいることに気付きました。


だれも心の病気になんてなりたくないです。


それでも突然やってくる心の不調は、原因も人それぞれだし、病院へ行っても治るか治らないかわかりません。


私は20年強迫性障害を患っていますが、正直完全に治ることはないとおもっています。


今の生活は本当に穏やかで、幸せなものです。


それなのに、強迫性障害の症状は時に色濃く出てきて、私を痛めつけます。


この歳になって、はじめて強迫性障害で人に頼りました。


今までは自分ひとりでどうにかしなければ、周りを巻き込んではいけないと思い込んでいたのです。


頼る決心をさせてくれた夫には感謝してもしきれません。


私の無駄とも思える確認行為に付き合ってくれ、私は本当に苦行から解放されたのです。


時には誰かに頼ることも大事なのだと学びました。


ただ、それは自分が本当に心から信頼を寄せている人に限ります。


誰かれかまわず、自分の症状を言っても理解してくれる人は正直いません。


陰でなにか言われるか、薄っぺらい同情をされるかでしょう。


私は誰にも同情はされたくないです。


病気も含めて、自分の個性だから、それを可哀想なんて親しくもない人に思って欲しくない。


だから、私は周りとは極力距離をとります。


私が覚えた自己防衛のひとつです。


私はひとりで生きている訳ではないですが、薄っぺらい人間関係はいらないと思っています。


冷たいようですが、それが私です。


私はわたしと生きていくのです。

わがまま病?

私は強迫性障害とうつ病を患っています。

うつ病ってただのわがまま病と言う人もいます。

自分は病気だからと、わがままを言いまくる人も確かにいて、私は絶対にそうはなりたくないと、周りの顔色や空気を読むことに必死になりすぎて、結果心が疲れました。

誰からも好かれる人はいないし、陰口を言う人もいます。

陰口を言うような奴の言葉なんて信じるに値しないです。

でも私は弱いからすべての刃を吸収して、身動きが取れなくなる。

周りの人たちは、もう前に進んでいるのに、私は前に進むどころか、重い足枷がついてくる。

でも、私は自分を諦めたくない。

メンタルは強くできないし、世渡り下手だけど、私は私を少しでも好きになってあげなきゃ、かわいそう。

だから、今日も前を向いて生きていく。

優しい社会

会社の社員さんが急に会社に来なくなり、1ヶ月がたちます。


理由は誰も知らないらしいです。


勿論部長は知っていると思いますが。


ただ、復帰予定の日は無断欠勤したらしく、部長も首を傾げていました。


他にもメンタルをやられ、休職している方がいます。


うちの会社はそんなにブラック企業なのでしょうか。


もしくは現代人のメンタルが繊細すぎるのか…。
私だってメンタルは弱いです。


今のところは自分を奮い立たせ、仕事してますが、たまに理由もなく泣きたくなる時があります。


昔勤めていた会社の方が、「うつは甘え、体の病気じゃないんだから、どうにかなる」と言っていました。


その方には、メンタルが繊細な人の気持ちは分からないのでしょう。


その会社で、私はまさしくメンタルを壊してしまい、会社へ行こうと思っても行けない時がありました。


何日か休んだ時、その方から電話が来て、責められました。


会社に行こうとすると吐きそうになると言っても、一日中吐いてる訳じゃないんだから来なよと。


その方とは一生相容れないと思います。


目に見える病気しか病気と認めない、そんな人には、繊細な人の気持ちが理解できない。


周りに迷惑をかけていると分かっていても、どうしようもない。


逆にそれがプレッシャーになり、余計行けなくなる。


目に見える体の病気は目に見えて治りますが、目に見えない心の病は自分にしか分からなく、治らない時もあります。


私の強迫性障害と同じです。


人と人との関係や仕事は時に難しく、自分の思い通りにならないことが多々あります。


それでもメンタルが繊細な方に優しい社会になるように、願っています。