余裕

健康は大事だと実感した今日この頃です。

歯医者、眼科、内科と立て続けに病院通いが続いたので、出費も多いです。

メンタル面でも、やはり健康だと心配事がなく、クリアな気持ちでいられます。

歳を重ねれば病院通いも増えますね。

かといって放置して悪化はさせたくないので、私は何かあればすぐ病院には行きます。

病院は嫌いですが。

そして、定期の病院もあり、最近は毎週病院通いです。

電化製品も同じ時期に買うため、みんな一気に壊れると聞きますが、身体にもそんなサイクルがあるのでしょうか。

大事なのは免疫力とは思います。

免疫力が下がっているとおそらく、様々な病気に派生するのでしょう。

今回風邪を引いて、小さなことでイライラした自分に気付きました。

咳はあるものの、風邪症状が良くなると気分はすっかり晴れたのです。

その経験から、日々の生活で精一杯になるのではなく、普段から余裕を持った生活をしたいなと思いました。

気持ちに余裕が出れば、読書などに時間を費やすことができます。

体力に余裕があれば、スポーツができるでしょう。

余裕のない生活が、気持ちにもでて、メンタルも荒れるのかもしれません。

気持ちの余裕を意識して、今後生活していきたいです。

私の3連休

また体調を崩し、3連休ずっと引きこもりでした。

せっかくの3連休、何をしようか色々考えていたもののすべてできませんでした。

名古屋へ来てから体力が落ちた気がします。

おそらく歳のせいもあるのでしょうが。

定期的に熱を出している気がします。

今回酷かったのは、喉の痛み、咳、発熱。

熱は37.8まであがりました。

平熱が35.7の私にはかなりの高熱です。

ただ、今回日曜日ということもあり救急に行くのも躊躇われたため、前回同じ症状でもらった薬があまっていたので、それでどうにかすることに。

コロナに感染した時もそうでしたが、結局、ロキソニンと咳止めしか貰えなかったので、病院へ行って待ち時間で疲れるより良いと思ったのです。

病院へ行くのは良いですが、体調が悪い時に待ち時間が多いとそれだけでまた具合が悪くなりますからね。

熱が出た初日は起きていられず、寝ても咳で寝れず、酷かったですが横になるしかありませんでした。

ご飯もまともに食べれず、ろくなものを食べれなかったです。

メンタル面でも余裕がなく、夫に当たりそうになるので必死で我慢。

これはダメだと思いました。

ただ、発熱後すぐ飲んだ薬が効き、次の日は起きれるように。

今回回復が早かったのが救いです。

咳はまだ続いていますが、昼間はそこまで多くないので、なんとか明日は会社に行けそうです。

睡眠は大事ですね。

せっかくお天気の良い休日だったので、ひきこもりは勿体なかったですが、仕方ないですね。

目の不調に続き、免疫力が弱っていたのだと思います。

歳を重ねると共に、免疫力を上げないといけませんね。

季節の変わり目、名古屋はようやく朝晩が涼しくなってきたものの、昼間はまだ28度前後。

気温の変化に耐えられる体力をつけたいものです。

いじめ

狭い世界で物事を見ていると、狭い視野でしか物事を考えられなくなります。

さかなクンが「魚は広い海だと協力するのに、狭い水槽に入れるといじめが始まるのです。」というような事をおっしゃっていました。

狭い視野で見るから誰かをいじめなければ生きていけないと思うのでしょうか。

人間も一緒で、誰かの噂話や悪口を言っている時が1番生き生きした表情になる人がいます。

マウントをとりたいのでしょうね。

情けないです。

違うことを認めない、個々を個々として尊重しない、そんな人の周りには同じような人しか集まりません。

友達がいるとしたら、上っ面でしょう。

陰で文句を言うくらいなら、私は仲良くしません。

好きな人や大事だと思う人には誠実でいたいのです。

だから私は夫の文句は誰にも言いません。

文句があるなら、本人に言います。

感情的にならず、なるべく筋道を立てて言います。

喧嘩をしたい訳ではありませんから。

友人もそう。

私は友人は少ないです。

でも仲の良い人には心を許しますし、尽くします。

それは損得じゃなく、個人としてその人を認めているからです。

でも今は連絡を取り合う友人もほとんどいません。

みんな家庭があって、子供もいるし、家のローンもあるしと、それぞれに事情があって忙しいからです。

でも会えた時は楽しく話します。

今はそれで良いと思っています。

小中学校で、私はいじめとは言えない程度に疎外されていました。

友達はいなかったです。

高校になって初めて友達と呼べる友人が何人かでき、ようやく今に至ります。

だから、友人は大事にしたい。

別に上っ面の友人はいりません。

お互いを尊重し合えるような友人が何人かいれば充分です。

たまに会って近況報告をする、それだけで昔に戻ったようで楽しいです。

誰かとストレスなく話すことは、身体にも良い影響をおよぼすと聞きます。

ストレスばかりの世の中で、友人と楽しく話したいなぁと久々思いました。

なみだ

今日、意味もないのに涙が出てきました。

泣かなければ、涙を出さなければダムが崩壊しそうだったのです。

理由は分かりません。

特に嫌なことがあった訳でもありません。

メンタルが弱っている時はそんな事も多々あります。

理由はなくても、日々の小さな綻びが、涙に変わるのかもしれません。

原因が分かれば、原因を取り除けば良いです。

時間が解決するなら待てば良い。

でも原因の分からない不調は困りますね。

ただ、逆に泣けて良かったと思いました。

泣かずに笑っていたら、きっと何かが溢れてしまったと思います。

でも私のメンタルは崩壊寸前なのは確かです。

最近無性に故郷の山が見たいと思うようになりました。

自然に癒されたいと思うようになりました。

それは、何かのサインなのでしょう。

休息は充分取っているはずなので、近いうち、気分転換に綺麗な景色でも見に行きたいです。

そう考えた時、今は誰にも会いたくないと思う自分がいました。

誰かと上手く話せる自信がないのです。

気分転換は1人か、夫と一緒にしようと思います。

こんな時、とても仲の良い友人でもいれば会いたくなるのでしょうか。

少なくとも両親には会いたくありません。

今はただ、綺麗なものと美味しいもので満たされたいです。

眼科

今日、朝起きたら右目の白目部分がぶよぶよに腫れていました。

出勤日なので、早退して病院へ行くことにし、いくつか病院を調べました。

そこで、目星をつけた病院のホームページを見ましたが予約方法が書いてありません。

電話で問い合わせてみると

「今日行こうと思って…」

いるのですが、予約は必要ですか?

と言い終わる前に

「当院、予約制では無いのでそのまま来てください」

と威圧的に言われ切られました。

あまりに腹が立ったので、別な病院に問い合わせしたところ、

「ご予約なしで大丈夫ですよ」

と言われ、症状や来る時間など詳しく聞いて貰え、空いている時間も教えてもらえました。

これが仕事だと思うのです。

皆忙しいし、大変ですが、病院につとめているなら、病気で不安な患者さんに寄り添うのが仕事なのでは、と。

前者の病院のように、忙しいのか分かりませんが、病気で不安を抱える患者さんをあんな風に扱うのは間違っていると思いました。

そのため、後者の病院へ行くことに。

先生の事は分かりませんが、受付の方が病院の雰囲気を物語っていると思ったのです。

結果、先生も丁寧に診てくださる優しい先生で、良かったです。

人と関わるお仕事はなかなかに難しいですが、人を不快にしてはいけないと感じた出来事でした。

ちなみに、白目のぶよぶよはあまり気にしなくて良いそうで、充血と目の腫れにきく目薬を処方されました。

誰しも初めての病気、病院は不安です。

適当にやっても、丁寧にやっても仕事は仕事、給料は同じかもしれません。

でも、その仕事に従事しているのも何かの縁。

仕事と向き合って、仕事に合った働き方ができたら良いなぁと思いました。

恐怖心

物心ついてから、私がはじめて恐怖心を抱いたのはレンタルビデオ屋でした。

父と母は、映画が大好きでよくレンタルビデオ屋に連れて行ってもらっていました。

ただ、何とも言えないあの店内の匂いと、ホラービデオのジャケットが目につき、幼い私には、とてつもない恐怖だったのです。

今思えば、それは恐怖症だったのかもしれません。

世の中には様々な恐怖症があります。

それが私にはレンタルビデオ屋でした。

レンタルビデオ屋に行く時は周りを見たくなくて、いつも俯いていました。

もう、レンタルビデオ屋なんてありませんが、私が映画をあまり見ないのにはその恐怖症も関係しているのかもしれません。

恐怖症の引き金は何になるかなんて、誰にも分かりません。

今でも数少ない、レンタルDVD屋などには行きたくないです。

見なければ良いのに、見たくないものばかり目に入るのです。

そういえば、虫嫌いな私は、家族の誰よりも家の中にいる虫を発見するのが早いです。

苦手なものや恐怖は1度頭にインプットされると、なかなか出ていってはくれません。

何か楽しいことを考えても恐怖が勝つのです。

私のそんな恐怖を和らげてくれるのは実際に目の前にある、美味しいものや綺麗なものです。

恐怖は想像でしかありませんが、目の前のものは現実です。

目の保養をしているうちに、恐怖は遠のきます。

ただ、消えた訳ではないので、また何かのきっかけですぐ近くに来るのです。

迷惑な客ですね。

強迫性障害と同じです。

私たちは付かず離れず、適度な距離で歩いています。

時々は遠くに行ったり、近くに来たりを繰り返して。

決して消えたわけではない。

見えなくともその存在は確かにあります。

強迫性障害から派生する数々の恐怖と私はこれからも戦って行くのです。

春夏秋冬

季節の移り変わりで体調が悪くなります。

春や、秋の季節が変わる時は気温の変化に身体が付いていきません。

なんとなく低迷していたり、なんとなく不調なのは季節のせいだと最近気付きました。

暑いから寒いへ、寒いから暑いへの変化が私には難しいのですね。

でも私は、寒い寒い冬から夏へ向かう春が、うだるような暑さから解放される秋が、大好きです。

白い息が出なくなる季節は、植物が芽吹き、春を喜ぶ季節です。

手袋やコートを脱ぎ捨てた時の喜びはなにものにも変え難いです。

桜が、寒く厳しい冬を乗り越え、美しい花を咲かせるように、春には私も何か希望が見えてくるのです。

春生まれの私は、新しい歳の始まりに、今年は沢山良い事があると良いなと願うのです。

そして、秋も大好きで、うだるような暑さから開放された涼しさが大好きです。

夜は鈴虫の声が子守唄になります。

長い長い夜をこえ、冬に向かい、暖かい防寒着を着る季節も大好きです。

東北生まれの私はやはり、夏より冬が好きなのかもしれません。

辛く厳しい寒さは毛嫌いされがちですが、雪が降った大地は美しく雄大で、世界に自分ひとりだけのような不思議な感覚になります。

しん、と静まり返った白銀の大地が大好きです。

時々故郷に帰りたいと思います。

故郷の山を見たい、強く思うのです。

今は空が狭く感じます。

広く雄大な、山々を感じたい。

名古屋に来て5年、今更ホームシックでしょうか。

故郷の春夏秋冬をまたこの目で見れるでしょうか。

アナログ

世の中のすべてのことを知れる訳はありませんが、自分はこんな事も知らなかったのかと思い知らされる時があります。

知らないことがあるのは当たり前なのに、それが恥ずかしい気がするのです。

今の世の中は、昔の人が何年もかけて調べるような知識でもすぐにネットで調べられる世の中です。

便利な分、きっと失ったものも大きいのではないでしょうか。

辞書で言葉を調べる時、たまたま見た他の言葉もついでに覚えたり、本屋で目的の本を見つけるついでに、好みの本に出会えたり、そんな出来事が少ないように思うのです。

新しい文化や機能は、便利でどんどん使うべきです。

でも、アナログなものにも良さはあると思います。

自分で苦労して調べた単語は忘れないように、何度も書いて覚えた漢字は忘れないように、努力は自分の中に残ります。

簡単に調べた単語は、明日には忘れてしまうかもしれない。

そう思うと、多少の負荷は大事なのだと思うのです。

便利なことはどんどん取り込んで良いと思います。

でも、例えば包丁を使えない人が、最初からキッチンバサミやスライサーに頼っていたら、ずっと包丁は使えないままです。

包丁を基本的に使える人なら、便利な道具は取り入れて良いと思いますが、まずは自分の腕を磨くのが最初かと思います。

あくまでも私の考えですが、まずは基本ができてから、便利な機能に頼るのが良いのかと。

日々のデジタル生活にアナログを少し加えてみることで、知れることもあるかもしれません。

古いことをバカにするのではなく、尊敬し、新しいことを敬遠するのではなく、学び、何事も柔軟に受け入れることが老若男女必要な気がします。

そうしたら、世の中はきっともっと良い世界になるのではないかと私は思うのです。

緊張

出勤日に休むのは気が引けます。

急な体調不良でたまに会社を休む時は、正直寝ていても寝ている気がしません。

決してサボっている訳ではないのに、後ろめたさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

全然休めないなら、多少具合が悪くても出勤しておけば良かったと思う時もあります。

かといって早退なんて高度な技は私には無理です。

上司に休みの連絡をするだけで心臓はバクバク、手汗はベタベタなのですから。

早退なんて、面と向かって上司に言うなんて行為、おそらく失神します。(大袈裟)

それくらい気が弱いのです。

電話も特に苦手なので、電話する前は深呼吸が増えます。

社内で、業務の分からないことを聞くだけでも、話しかけるのに勇気がいるのです。

強迫性障害を患う前から、これはありました。

別に分からないことを聞くだけなのに、なぜこんなに緊張するのだろうと常々思っていました。

話しかけて相手にどう思われるのか怖い、休んだら何か言われているのではないかと考えてしまう。

過度な緊張と、過度な心配が治りません。

今は会社でも周りの方が皆在宅なので、私は出勤していても楽です。

それでもやはり、他人に話しかけられたり、話したりするのは勇気が要ります。

強迫性障害と一緒できっと、一生付き合わなきゃいけないものなんでしょうね。

私は何でも話せる夫と、少ない友人の少ないコミュニティで話せれば充分です。

アダルトチルドレン

アダルトチルドレンというワードを目にしました。

子どもの頃の家庭環境や親との関係でトラウマを抱え、大人になってもその影響を感じている状態を指す概念だそうです。

特徴として、過度な自己責任や自己否定、自己肯定感や自尊心が低いなどがあるらしいです。

病気ではないようですが、私も当てはまると思いました。

そしてアダルトチルドレンと呼ばれる人達には、多くの場合反抗期がなかったと言われているそうです。

まさに私でした。

親が反抗を許さなかったのです。

少しでも反抗すれば家を追い出される恐怖がありました。

他に行くところも、反抗する勇気もない私は親に従うしか無かったのです。

もちろん反抗されたい親なんていないでしょう。

ただ、大多数の親は大人になる第一歩だと反抗期を認識してくれています。

私の親は違いました。

そのため、私は大人になりきれず、親の支配にまだがんじがらめにされたままです。

親離れできていないのかと言われたらそれは違います。

親はまだ子離れできていないことが分かります。

離れていても、私には親の支配の影が付きまといます。

心身ともに自立するにはどうすれば良いのか、分かりません。

独特で支配的な親の元に産まれた私には、どうやったら支配から抜け出せるか、分からないのです。

いつかわかる時が来るのでしょうか。

ただすべてのアダルトチルドレンへ言えるのは

「私たちは悪くない」

ということです。

今の状況は自分のせいでもなんでもない、不運な状況が続いただけ。

決して自分を責めないでください。

私も自分を責めた時期がありました。

でも今は違う。

どれだけ自分を認めてあげるか、それがアダルトチルドレン脱却の方法なのかもしれませんね。