私の3連休

また体調を崩し、3連休ずっと引きこもりでした。

せっかくの3連休、何をしようか色々考えていたもののすべてできませんでした。

名古屋へ来てから体力が落ちた気がします。

おそらく歳のせいもあるのでしょうが。

定期的に熱を出している気がします。

今回酷かったのは、喉の痛み、咳、発熱。

熱は37.8まであがりました。

平熱が35.7の私にはかなりの高熱です。

ただ、今回日曜日ということもあり救急に行くのも躊躇われたため、前回同じ症状でもらった薬があまっていたので、それでどうにかすることに。

コロナに感染した時もそうでしたが、結局、ロキソニンと咳止めしか貰えなかったので、病院へ行って待ち時間で疲れるより良いと思ったのです。

病院へ行くのは良いですが、体調が悪い時に待ち時間が多いとそれだけでまた具合が悪くなりますからね。

熱が出た初日は起きていられず、寝ても咳で寝れず、酷かったですが横になるしかありませんでした。

ご飯もまともに食べれず、ろくなものを食べれなかったです。

メンタル面でも余裕がなく、夫に当たりそうになるので必死で我慢。

これはダメだと思いました。

ただ、発熱後すぐ飲んだ薬が効き、次の日は起きれるように。

今回回復が早かったのが救いです。

咳はまだ続いていますが、昼間はそこまで多くないので、なんとか明日は会社に行けそうです。

睡眠は大事ですね。

せっかくお天気の良い休日だったので、ひきこもりは勿体なかったですが、仕方ないですね。

目の不調に続き、免疫力が弱っていたのだと思います。

歳を重ねると共に、免疫力を上げないといけませんね。

季節の変わり目、名古屋はようやく朝晩が涼しくなってきたものの、昼間はまだ28度前後。

気温の変化に耐えられる体力をつけたいものです。

いじめ

狭い世界で物事を見ていると、狭い視野でしか物事を考えられなくなります。

さかなクンが「魚は広い海だと協力するのに、狭い水槽に入れるといじめが始まるのです。」というような事をおっしゃっていました。

狭い視野で見るから誰かをいじめなければ生きていけないと思うのでしょうか。

人間も一緒で、誰かの噂話や悪口を言っている時が1番生き生きした表情になる人がいます。

マウントをとりたいのでしょうね。

情けないです。

違うことを認めない、個々を個々として尊重しない、そんな人の周りには同じような人しか集まりません。

友達がいるとしたら、上っ面でしょう。

陰で文句を言うくらいなら、私は仲良くしません。

好きな人や大事だと思う人には誠実でいたいのです。

だから私は夫の文句は誰にも言いません。

文句があるなら、本人に言います。

感情的にならず、なるべく筋道を立てて言います。

喧嘩をしたい訳ではありませんから。

友人もそう。

私は友人は少ないです。

でも仲の良い人には心を許しますし、尽くします。

それは損得じゃなく、個人としてその人を認めているからです。

でも今は連絡を取り合う友人もほとんどいません。

みんな家庭があって、子供もいるし、家のローンもあるしと、それぞれに事情があって忙しいからです。

でも会えた時は楽しく話します。

今はそれで良いと思っています。

小中学校で、私はいじめとは言えない程度に疎外されていました。

友達はいなかったです。

高校になって初めて友達と呼べる友人が何人かでき、ようやく今に至ります。

だから、友人は大事にしたい。

別に上っ面の友人はいりません。

お互いを尊重し合えるような友人が何人かいれば充分です。

たまに会って近況報告をする、それだけで昔に戻ったようで楽しいです。

誰かとストレスなく話すことは、身体にも良い影響をおよぼすと聞きます。

ストレスばかりの世の中で、友人と楽しく話したいなぁと久々思いました。

眼科

今日、朝起きたら右目の白目部分がぶよぶよに腫れていました。

出勤日なので、早退して病院へ行くことにし、いくつか病院を調べました。

そこで、目星をつけた病院のホームページを見ましたが予約方法が書いてありません。

電話で問い合わせてみると

「今日行こうと思って…」

いるのですが、予約は必要ですか?

と言い終わる前に

「当院、予約制では無いのでそのまま来てください」

と威圧的に言われ切られました。

あまりに腹が立ったので、別な病院に問い合わせしたところ、

「ご予約なしで大丈夫ですよ」

と言われ、症状や来る時間など詳しく聞いて貰え、空いている時間も教えてもらえました。

これが仕事だと思うのです。

皆忙しいし、大変ですが、病院につとめているなら、病気で不安な患者さんに寄り添うのが仕事なのでは、と。

前者の病院のように、忙しいのか分かりませんが、病気で不安を抱える患者さんをあんな風に扱うのは間違っていると思いました。

そのため、後者の病院へ行くことに。

先生の事は分かりませんが、受付の方が病院の雰囲気を物語っていると思ったのです。

結果、先生も丁寧に診てくださる優しい先生で、良かったです。

人と関わるお仕事はなかなかに難しいですが、人を不快にしてはいけないと感じた出来事でした。

ちなみに、白目のぶよぶよはあまり気にしなくて良いそうで、充血と目の腫れにきく目薬を処方されました。

誰しも初めての病気、病院は不安です。

適当にやっても、丁寧にやっても仕事は仕事、給料は同じかもしれません。

でも、その仕事に従事しているのも何かの縁。

仕事と向き合って、仕事に合った働き方ができたら良いなぁと思いました。

春夏秋冬

季節の移り変わりで体調が悪くなります。

春や、秋の季節が変わる時は気温の変化に身体が付いていきません。

なんとなく低迷していたり、なんとなく不調なのは季節のせいだと最近気付きました。

暑いから寒いへ、寒いから暑いへの変化が私には難しいのですね。

でも私は、寒い寒い冬から夏へ向かう春が、うだるような暑さから解放される秋が、大好きです。

白い息が出なくなる季節は、植物が芽吹き、春を喜ぶ季節です。

手袋やコートを脱ぎ捨てた時の喜びはなにものにも変え難いです。

桜が、寒く厳しい冬を乗り越え、美しい花を咲かせるように、春には私も何か希望が見えてくるのです。

春生まれの私は、新しい歳の始まりに、今年は沢山良い事があると良いなと願うのです。

そして、秋も大好きで、うだるような暑さから開放された涼しさが大好きです。

夜は鈴虫の声が子守唄になります。

長い長い夜をこえ、冬に向かい、暖かい防寒着を着る季節も大好きです。

東北生まれの私はやはり、夏より冬が好きなのかもしれません。

辛く厳しい寒さは毛嫌いされがちですが、雪が降った大地は美しく雄大で、世界に自分ひとりだけのような不思議な感覚になります。

しん、と静まり返った白銀の大地が大好きです。

時々故郷に帰りたいと思います。

故郷の山を見たい、強く思うのです。

今は空が狭く感じます。

広く雄大な、山々を感じたい。

名古屋に来て5年、今更ホームシックでしょうか。

故郷の春夏秋冬をまたこの目で見れるでしょうか。

アナログ

世の中のすべてのことを知れる訳はありませんが、自分はこんな事も知らなかったのかと思い知らされる時があります。

知らないことがあるのは当たり前なのに、それが恥ずかしい気がするのです。

今の世の中は、昔の人が何年もかけて調べるような知識でもすぐにネットで調べられる世の中です。

便利な分、きっと失ったものも大きいのではないでしょうか。

辞書で言葉を調べる時、たまたま見た他の言葉もついでに覚えたり、本屋で目的の本を見つけるついでに、好みの本に出会えたり、そんな出来事が少ないように思うのです。

新しい文化や機能は、便利でどんどん使うべきです。

でも、アナログなものにも良さはあると思います。

自分で苦労して調べた単語は忘れないように、何度も書いて覚えた漢字は忘れないように、努力は自分の中に残ります。

簡単に調べた単語は、明日には忘れてしまうかもしれない。

そう思うと、多少の負荷は大事なのだと思うのです。

便利なことはどんどん取り込んで良いと思います。

でも、例えば包丁を使えない人が、最初からキッチンバサミやスライサーに頼っていたら、ずっと包丁は使えないままです。

包丁を基本的に使える人なら、便利な道具は取り入れて良いと思いますが、まずは自分の腕を磨くのが最初かと思います。

あくまでも私の考えですが、まずは基本ができてから、便利な機能に頼るのが良いのかと。

日々のデジタル生活にアナログを少し加えてみることで、知れることもあるかもしれません。

古いことをバカにするのではなく、尊敬し、新しいことを敬遠するのではなく、学び、何事も柔軟に受け入れることが老若男女必要な気がします。

そうしたら、世の中はきっともっと良い世界になるのではないかと私は思うのです。

20代の頃は服はあればあるほど良いと思っていました。

むしろ同じ友達と会うのに絶対同じ服は着ていきたくないとも思っていました。

今は物欲自体がさほどなく、服に関する関心が1番低いです。

職場もかなりラフな格好なので、デニムにTシャツなどで通勤したりしていますし。

そうしているうちに、自分の好みの服や似合う服が分からなくなりました。

服を見に行っても、可愛いと思うものがないのです。

そして良いかなと思って買ったものも、まったく着ないなんてことも。

好みは変わりましたが、まさか自分の好みが分からなくなるとは思いませんでした。

最近はラフな格好を、平日も休日も好んでしています。

歩くことが多くなったので、ヒールの靴を履かなくなったことにも原因はあるのかもしれません。

スニーカーに合わせると、どうしてもラフな格好になってしまいがちです。

そして私は冒険心がない上に、センスが皆無なので、マネキンの服を真似してコーディネートは一択になりがちです。

トップスとパンツを買っても、組み合わせを変えてローテーションでコーディネートを楽しめない女です。

年齢のせいもあるのかもしれませんが、ここまで服の好みが変わると、今まで着ていたものは一切着る気がしなくなり、新たな服をどうやってお迎えして良いかも分かりません。

とにかく今は少ない服で頑張っていますが、いい加減飽きてきました。

Google先生で検索しても、イマイチピンと来ない服を買うのは正直嫌ですし。

困りますね。

メンタル面の回復の仕方は分かってきましたが、服の好みが分からない。

かといって何でも良いわけじゃない。

面倒な女になってしまいました。

とりあえず、しばらくは色々見て目を養おうと思います。

私が地元に戻りたくない理由

私のいとこは3人います。

父の兄であるおじの子供です。

遠方でなかなか会うことはできませんが、実家にはたまに連絡が来ます。

ある日、おじとおばが最近軽度の認知症を発症していると聞きました。

3人の子供のうち、長女はひきこもりで、仕事もせず実家にいます。

長男は結婚し、子供もいて、近くに住んでいます。

次男は、今は遠方に暮らしていて、帰ってくる気配はありません。

そう考えた時、1番頼りになるであろう長男が両親と長女である姉の面倒を見ることになるでしょう。

それを聞いて、私は「長男くん、大変だね」と母に言いました。

次の母の返事に私は言葉を失いました。

「子供は親の面倒を見るのが当然なんだから仕方ないでしょ」

私はひとりっ子で、もちろん両親の面倒を見るつもりでいました。

しかし、それを聞いて決心がゆらぎました。

あたりまえ?育ててやったんだから、面倒見るのが当たり前なの?

私の友人や、会社の人などに話を聞いた時は全員、「子供には絶対に面倒をかけたくない」と言っていたのを思い出しました。

親は子供の幸せを願うのだと勝手に思っていましたが、私の母はどうやら違うようです。

父は私には面倒をかけたくないと思ってくれているようで安心しましたが、父より母の方に決定権があるので、母は父の言うことなど聞かないでしょう。

薄情ですが、私が地元に戻りたくないのは両親がいるからです。

近くにいれば頼られるのは目に見えていますし、私の生活にも干渉してくるでしょう。

私は今の生活が気に入っています。

それを壊されたくない。

わがままは分かっています。

でも私の人生は私だけのものです。

今は両親元気ですが、そのうち、介護が必要になる時もあるかもしれません。

その時私はどうするのか、どうしたいのか、まだ答えは出ないままです。

会話能力

あの時これを言えばよかった、あれを言えばよかったと後から後悔することがあります。

頭の回転が早い人ならすぐに上手い返しを思いつくのでしょうが、私には無理です。

そして何故かあとから、言えばよかった上手い返しを思いついてしまうのです。

不思議なもので、一旦落ち着くとなかなか良い答えが生まれるものです。

なにかの本に普段からこう言われたらこう返すという、シュミレーションをしておくと良いと書いてありました。

しかし、無限にある会話に予測なんてつくわけないです。

日々、誰かとコミュニケーションをとることで自然と頭の回転が良くなるのだとは思います。

ただ、コミュニケーション不足&苦手な私にはそれすら難しい…。

高校生の時は確かに、毎日友達とばかみたいに話していたので、頭の回転は早かったように思います。

今は会社に1日いても、何を話したか覚えているくらい、会話は少ないです。

誰とでも人懐っこく話せる人が羨ましいです。

ただ、自分はそうなりたくないと思う時もあって、矛盾してますね。

私は親しい人と仲良くできれば、浅く広い交友関係はいらないと思っているタイプです。

だから余計、誰とでも仲良くしなくても良いと思うのです。

言葉の刃が怖くて逃げているのかもしれません。

傷付くなら話の輪の中に入らない方が良いです。

防衛本能も過度はいけません。

でも私はおそらく変わらないでしょうね。

洗脳と過去と未来

妄想や幻覚は恐ろしいです。

あの人は嫌な人だという妄想をすると、本当に嫌な人を自ら作り上げてしまいます。

そして、その人がただ笑っただけでも不敵な笑みという幻覚が見えます。

思い込みや幻想は、時にマイナスに作用することがあるのです。

洗脳も同じで、それが正しいことか分からなくとも、洗脳者が正しいと言えば、白も黒になってしまいます。

私は、母がすべて正しいという洗脳を受けて育ちました。

母の言うこと、やることに間違いはないのです。
それがそもそもの間違いだと気付くのに、人生の大半を費やしました。

恨んではいません。

ただ、私がもっと早く気付いていれば、反抗してでも実家を出て一人暮らしをしていればと、考えればキリがありません。

後悔は山ほどあります。

ただ、過去に戻りたいとは思わないのです。

もちろん、楽しかった時もありました。

でも、今が人生で1番幸せだから、過去に戻ってしまって、万が一今が変わってしまうのが怖いのです。

やり直して、後悔を取り除いたら今の私はいないかもしれないと思うと、過去は過去だと思うことができます。

過去の失敗や後悔があったから、今の私がいます。

それは紛れもない事実で、変えられない。

変わらない事実を大事に今を生きることがどれだけ大事か、今は分かるのです。

少女漫画脳

私は昔から少女漫画が大好きでした。

母が漫画好きなのに影響されたのです。

幸いにも母の蔵書は1000冊以上あったので、読む本には困りませんでした。

そこで私の脳内は完全に少女漫画脳になってしまったのです。

理想の彼氏や結婚が実際にできると信じて疑わなくなりました。

しかし、30歳になっても私には運命の人は現れませんでした。

親には結婚を急かされ、当時付き合っていた彼氏と結婚することになります。

プロポーズは嬉しかったし、結婚式や新婚旅行も不満はあれど、楽しかったです。

ただ、あくまでも少女漫画では結婚がゴールで、その先なんて描いてないのです。

私に残ったのは「結婚生活」でした。

その結婚の生活は、楽しくもなんともありませんでした。

嘘みたいですが、私は本当に、結婚後の生活なんて想像していなかったのです。

元旦那には申し訳ないと思っています。

何より、私が元旦那を愛していなかった。

2人の将来なんて想像ができなかったのです。

結婚生活は2年でという短さで終わりを迎えました。

離婚を申し出た時、引き止められもせず、次の日には元旦那の親の署名の入った離婚届が用意されていました。

あっけないほど、あっさりした離婚でした。

私は結婚した時から5キロ痩せていました。

そんな経験から、私は夫との結婚も最初は怖かったです。

私は人を愛せないのではないか、人と生活できないのではないか。

でも今は誰より夫を愛しているし、趣味は生活と言えるほど生活が楽しいです。

2人の老後もすんなり想像がつきます。

もちろん生活は少女漫画みたいにはいかないです。

でも私は私が主人公の物語を紡いでいきます。

今は昔みたいに漫画は読まなくなりましたし、感情移入できる漫画もなくなりました。

現実逃避せずに現実を生きる術が身についたのかもしれませんね。