地獄のランチ会

うまく笑えていない気がしました。

笑顔が引きつっているような感覚があったのです。

それは、気が合わない職場の同僚たちとランチに行った時でした。

人数が多い方が助かります。

無理に話さなくてすみますから。

しかし、私はどちらかと言うと、大人数で飲み会などをした時、会話の輪から外れてしまうタイプです。

人数が多いと、始めは全員で話していても、そのうち2~3人に分かれて話しをするようになります。

私はその会話からあぶれて1人になってしまうのです。

積極的に会話に入るのも、なんだか邪魔な気がして気が引けますし、かといって大人数の中で1人なのは、ひとりで居酒屋に入るより孤独です。

そしてどうしようもなく惨めなのです。

ただ、人の話しを聞いて笑顔で相槌を打てば良いだけなのに、私は笑顔すら作れませんでした。

昔から、感情が表情にすぐ出る子供でした。

今でも変わりません。

私はそのランチがつまらなくて仕方なかったのです。

会社の愚痴やつまらない噂話をただ聞くだけの、苦痛の時間です。

でもランチに誘われて断る勇気はありません。

断ったら、その後何を言われるか分からないし、職場で上手くやるためにはそんなランチ会も必要だと思っています。

内心、二度と誘わないで欲しいと思っていても、誘われなくなったら終わりとも思っています。

こんな自分がたまらなく嫌で、家に帰ってからも
「今日の言動はダメだったかな」
とひとり反省会をするのも嫌です。

つまらないランチ会のために、心を痛め悩まされるのがしんどいです。

いつの頃からか自分の殻にとじこもるようになり、殻の破り方を忘れてしまいました。

夫には何でも話せるのに、他人とは何を話して良いかまったく分からなくなるのです。

コミュニケーション能力のある方なら
「話す内容なんてなんでも良いのに」
と思うかもしれませんが、私には「なんでも」が難しいです。

自分のコミュニケーション能力の低さにガッカリしますね。

頭では別に嫌な相手とは付き合わなきゃ良いし、そんな人には嫌われても良いと思うのに、実際は嫌われるのが怖いのです。

好かれなくても、嫌いにはならないでほしいのです。

家に帰るとほっとします。

ここは私のお城ですから。

働くのはストレスがつきものですが、適度に発散して仕事を乗り切ります。

防衛本能

いつの頃からか、人との距離のとり方が分からなくなってしまいました。

以前勤めていた会社では、気が合わない人と無理に溶け込もうとして、人間関係に疲れてしまった経験があります。

今は逆に気の合わない人と、一切絡まず、距離を置いています。

それはそれで正直疲れます。

どちらが良いのか分かりません。

ちょうど良い距離感が分からなくなりました。

仲の良い人や、気の合う人とは積極的に仲良くできるのに、適度って難しいですね。

昔は平気でしたが、他人に変に近寄られるのも嫌になりました。

電車やバスでは致し方ないことなのに、どうにも嫌なのです。

マスク生活が終わり、匂いに敏感な私には人の匂いが嫌なのかもしれません。

また人の話し声も敏感に聞こえてしまうので、嫌な噂話や、悪口が聞こえるのが嫌なのもあります。

自分のことを繊細だとは思っていませんでしたが、かなり繊細なのかもしれません。

強迫性障害が色濃く出ると、こんな症状も強く出ます。

自分の殻にこもっているのが良いとは思いません。

孤独が好きな訳ではありませんから。

でも、社会では自分の身を守るために殻にこもるしかないのかもしれません。

きっと自分なりの防衛本能なのですね。

「頑張って」

いつもではないのですが、昔から空腹になると手が震えていました。

そういう時は、何か口に入れないと倒れそうになるので、チョコや蜂蜜飴を緊急用に持ち歩いています。

昨日はまさにその日で、疲れも半端なかったです。

今日もそうなのかと思うと仕事が憂鬱ですが、弱音ばかりではいられないので、頑張りたいです。

頑張るといえば、
「頑張って」
という言葉はうつ病の方には言ってはいけないそうですね。


言葉は時に刃にも薬にもなります。

使い方を誤れば人を簡単に傷付けられる凶器、そして傷を治す万能薬です。

でも難しいですね、相手がどう捉えるかなんて分からないし、自分は良かれと思って深く考えずに言った言葉が相手には地雷だったりします。

多分心が傷付いている時は、何を言われても刃にしか捉えられないのだと思います。

もちろん心が元気でも、悪意のある言葉には傷付きますけどね。

ただ、「頑張って」の言葉も、相手が気持ちを込めて言ってくれたことなら、伝わるんじゃないかと思うのです。

大事なのは言葉に込められた気持ちなんじゃないかなぁと。

言い方ってありますよね。

ぶっきらぼうに「頑張って」と言われても「せいぜい頑張れば」程度の嫌味にしか聞こえません。

でもずっと応援してくれている人に「頑張って」を言われたら誠意を感じます。

気持ちは言葉にあらわれます。

私もふとした言葉で誰かを傷付けないよう、誰かを元気にできる言葉が言えるよう、日頃から言動には注意したいです。

スポンジ

過去のことを思い出して恥ずかしくなることがあります。

あの時あんな言動をしてしまったと、思い出して後悔し、自分を責めるのです。

意味のないことですね。

だって過去は変えられないし、やってしまった事は取り返しがつきません。

でも別に犯罪を犯している訳ではないし、周りは意外と自分のことなど見ていないものです。

気にしなくても良い、分かっていても気になるのです。

だったら同じ過ちを繰り返さないよう、今後頑張れば良い。

そう気付いて少し気持ちが楽になりました。

ただ、気持ちが落ち込んでいる時はそんな前向きな考えも虚しく、マイナスの感情がどんどん私の中に流れ込んでくるのです。

私は嫌な感情をスポンジみたいに吸収します。

そうするとスポンジが重くて身動きが取れなくなり、結果気持ちはどん底に沈むのです。

昔あった嫌なことを思い出して自己嫌悪し、自分で自分を苦しめます。

スポンジはどんどん膨らみ、悪循環です。

どん底まで落ちると、スポンジも吸収するものがなくなり、ようやく私は少しずつ這い上がることができます。

ただ、どん底に落ちるのは早いのに、這い上がるには時間がかかります。

だから、なるべく落ちたくないのです。

でも私は落ちる時はどん底まで落ちないと這い上がれないらしく、中途半端に落ちてすぐに這い上がることができません。

不器用なんですね。

だから、私の心のスポンジは刃をどんどん吸収してしまうのです。

でも絶対に絶対に這い上がる。

そうやって私は今日もストレス社会を生きていきます。

眠気

定期的にどれだけ夜寝れていても昼間の眠気が酷い時があります。

休みの日は、朝の家事を終わらせたら寝て、お昼を食べるために起きてまた寝る、そんな感じで正直勿体ない休日を過ごすことが多々あるのです。

休日は思いっきりダラダラして、ぼーっとするのは心と身体の回復に重要だとは思うのですが、さすがに寝てばかりだと1日が早いし、余計疲れます。

病院でも相談したことがあるのですが、私が飲んでいる薬にそこまで眠気が出るものはないらしいです。

薬のせいではないとなると、原因が何なのか、正直分かりません。

ただ、眠気について調べていると、うつ病だと眠気が酷いことがあるそうです。

特に秋冬など季節も関係するそう。

まだまだ暑い日が続きますが、季節は秋です。

私ははっきり、うつ病と診断された訳ではありませんが、抑うつと診断されたことはあります。

心や身体が疲れているのかもしれません。

勿体ないですが、休養期間の充電と考え、休日は眠気を我慢せずダラダラ過ごそうと思います。

昔は、休日は出かけないと勿体ない!と思っていた私も今は家が大好きです。

かといって遊びに出かけるのも好きなので、バランスよく今後も適度な休息と遊びをしていきたいです。

強迫性障害の確認行為

強迫性障害に確認行為というものがあります。

代表的な所で言うと、戸締りを何度も何度も確認することです。

それは一度の確認では不安だから、不安を払拭するためにする行為です。

しかし確認行為をしたから、不安が解消されるのかと言うと実はそうではありません。

ではなぜ繰り返し確認行為をするのか。

それには正直意味がないのです。

繰り返し確認をしているうちに戸締りがされているかどうかも分からなくなります。

でも一度の確認では不安、その不安を払拭するために確認を繰り返し、余計不安になる。

正直、悪循環です。

それでも、冷や汗が出ようが、意識が朦朧としようがやめられない。

終わりが見えないのです。

大丈夫と分かっているのに、確認しなければ気が済まない。

どこかで無理やり確認を終わらせると、不安がずっと付きまといます。

だから、自分を無理やり納得させて確認行為を終わらせるのです。

それが強迫性障害の確認行為です。

今までの私は確認行為をする朝の出勤前だけで疲れていました。

夫にまだ話せていないうちは、夫が見ていない所で何度も何度も確認行為をするのです。

隠していたのは恥ずかしい行為と自分でもわかっていたからです。

今は夫にすべてを話し、協力してもらうことで苦しさからは逃れました。

夫に絶大な信頼を寄せている私は、夫が確認すれば、一度の確認でも大丈夫なことに気付いたのです。

それを病院で話したら、先生が「そういう人は珍しいね」と言っていました。

馬鹿らしいことに付き合ってもらって、夫には感謝しかありません。

しかし、これで解決したとは思っていません。

根本的に私は治癒している訳ではないからです。

夫が出張の時はひとりでどうにかしなければいけないし、ひとりで出かける時ももちろんありますから。

そして確認行為は戸締りに限ったことではありません。

例えば小説を読んでいても映画を見ていても、何か引っかかると、戻って何度も見るため前に進まないのです。

映画館には行けませんし、気になったまま先に進もうとしても気になった部分が頭を支配して小説や映画どころではなくなります。

根本から治すのは不可能。

それが私が出した答えです。

だから確認行為をしなくても良いように日々生活していきます。

それが今、強迫性障害と付き合っている私のやり方です。

知ることと知らないこと

はじめて強迫性障害と診断されたのはまだ実家で暮らしている時でした。


母も一緒に病院へ行き、先生に水道代がバカ高いと私が症状を言うより前にまくし立てました。


寡黙な先生が言った
「強迫性障害ですね」
の言葉は今でも忘れられません。


今は、うつ病や、ADHDなどの方に優しい世の中だとは思います。


でも昔は違いました。


ネット環境もそんなに普及しておらず、自分で調べることも難しかった世の中。


強迫性障害なんて、未知の言葉は自分ですら受け入れることは難しかったです。


ただ、この辛い症状に病名があることに何故か安心して、涙した記憶があります。


それから20年ほどずっと病院には通っています。


夫の転勤で地元を離れ、今いる土地でも通院していることは両親には伝えていたし、分かっていると思っていました。


しかし、ある日父に電話で言われたことに衝撃を受けました。


今私は、甲状腺の病院にしか通っていないことになっていたのです。


あんなに辛い思いをしていた、強迫性障害がないことになっていました。


治ったとでも思っているのでしょうか。


ちなみに両親は認知症ではありません。


おそらく両親の中で、強迫性障害なんて名前も覚えられない未知の病はなかったことにしたかったんだと思います。


正直症状を話しても分かって貰えないことは分かっているので、そのまま、両親には話しを合わせています。


分かってもらおうとは思いませんが、私が病院に通っていることは知っていて欲しかった。


でも今は私の強迫性障害が、両親の中で消えている分、何も話さずに済むので逆に楽です。


病気の事は自分にしか分からないから、誰にも言わない。


そう思って生きてきました。


今は夫が最大の味方で、最良のパートナーなので、すべてを打ち明けました。


夫は知る努力をしてくれています。


だから、とても気持ちが楽になりました。


今のこの生活がとても好きです。

職場環境

強迫性障害を患うようになってから周りの音や匂いに敏感になった気がします。


正直職場でも周りの声が雑音に聞こえて、仕事が思うように進まない時があります。


それでもなんとかやっていますが、在宅が良いと思う時も多々あります。


昔に比べ、だいぶ敏感になりました。


ただ、今の職場は歴代の職場に比べてやりやすいし、環境は良いです。


この職場に来て、ちょうど1年になりました。


主人の転勤でこの土地に来てから、職場を転々としました。


ほとんど1年ももたず辞めました。


元々物覚えが悪いのと、コミュニケーション能力が低いことがあり、仕事や職場に馴染めず早々に辞めていたのです。


仕事ができないことで注意されると、恐ろしく落ち込み、仕事へ行くのが苦痛になります。


それがあり、1年ほどは仕事をせず、家にいました。


ようやく働いても良いかなと思えて今の職場に入り今に至ります。


ただ、フルタイムで働くとまた同じことの繰り返しになると思い、扶養内パートという働き方を選んだのです。


それは大正解でした。


今の生活は自分に合っているし、病気を患っていても今の自分が1番好きです。


それでも、仕事を始めたばかりの頃は、トレーナーである社員の見張りが厳しく、辞めようかとも思いました。


見られていると、思うように仕事ができず、余計なミスをしてしまうのです。


ただ、3ヶ月ほどしか働かず、辞めてしまった会社が2社ほどある前科があった私は、夫に相談。


夫の後押しもあり、もう少し頑張ってみることにしました。


今は仕事も覚え、独り立ちできたのに加え、トレーナーの方は在宅で働いているので、だいぶ楽になりました。


こちらに来たばかりの頃は気が張っていて、周りに溶け込まなければ、合わせなければと必死でした。


今はマイペースにできるようになり、あの時辞めなくて良かったと心底思います。


合う合わないはありますが、少しずつ合っていく仕事もあるのだなぁと感じるこの頃です。

大丈夫な自分

美味しいものを美味しいと、綺麗なものを綺麗だと思えるうちは大丈夫です。


それが私の大丈夫の基準です。


ただ、最近気持ちが低迷しているのもあり、身体が反応したのか熱を出してしまいました。


37度程度の微熱なのですが、普段平熱が35度の私には少々しんどいです。


併せて台風も来るとの事。


なんだか小さなストレスや心配事が溜まります。
自分の中で低迷期の乗り越え方は分かっていますが、なかなか上手くいかない時も多いです。


落ち込む時はどん底まで落ち込まないと私は這い上がれないようです。


今多分底辺なのであとはアガるだけ。


そう言い聞かせて、どうにか仕事を乗り切ります。


今はやりたいことより、やらなければいけないことを優先させないと、やりたい意欲が湧かないのです。


やらなければいけないことを優先してやっていると自然と無心になれるので余計な事を考えなくてすみます。


自分が何をやりたいか、何者になりたいか、ハッキリ分かっている人は羨ましいですし、尊敬します。


私は昔から自分が何をしたいのか、夢も何もなかったからです。


ただ、親に言われるまま短大へ進み、就職しました。


後悔がないと言えば嘘になりますが、特に波風はありませんでした。


多分強迫性障害にならなければ、また別の人生だったかもしれません。


でも今はこの生活が最高に幸せだし、強迫性障害ともうまく付き合ってあげているのでおそらく大丈夫です。


もっと大丈夫な自分は求めません。


ただ、平凡に幸せに笑って暮らしたいです。

低迷期の乗り越え方

低迷期だなと感じる時が定期的にあります。


何をやっても上手くいかず、小さなことでイライラしてしまう。


そんな自分に更に嫌気がさします。


そういう時は心を無にします。


何も考えません。


仕事の時ならただやるべき事を淡々とこなし、休みの日なら頭をからっぽにして、何もしません。


何も考えず、ただ、ぼーっとする時間を作ります。


一見無駄に見えるこの行為こそ、前に進むためのステップなのです。


心を静かに、穏やかに。


これは実はとても難しいことで、どうしても雑念が入り色々な事を考えてしまいます。


でも強制的に、シャットダウンします。


そういう時は、昔の嫌なことや失敗を思い出して1人自己嫌悪に陥るから、良い事無いのです。


分かっていても考えてしまうなら、何か好きな事をします。


私なら、映画を見たり、本を読んだりです。


集中すると、雑念は消えます。


映画や本も難しいものではなく、ゆるく見れるものを選びます。


少し現実逃避すると、頭がすっきりしているのです。


強迫性障害の症状が色濃く出てくると、それもできない時があります。


でも無理にでも頭の雑念を消す。


難しいですが、これが私の前に進むための下準備です。