余裕

健康は大事だと実感した今日この頃です。

歯医者、眼科、内科と立て続けに病院通いが続いたので、出費も多いです。

メンタル面でも、やはり健康だと心配事がなく、クリアな気持ちでいられます。

歳を重ねれば病院通いも増えますね。

かといって放置して悪化はさせたくないので、私は何かあればすぐ病院には行きます。

病院は嫌いですが。

そして、定期の病院もあり、最近は毎週病院通いです。

電化製品も同じ時期に買うため、みんな一気に壊れると聞きますが、身体にもそんなサイクルがあるのでしょうか。

大事なのは免疫力とは思います。

免疫力が下がっているとおそらく、様々な病気に派生するのでしょう。

今回風邪を引いて、小さなことでイライラした自分に気付きました。

咳はあるものの、風邪症状が良くなると気分はすっかり晴れたのです。

その経験から、日々の生活で精一杯になるのではなく、普段から余裕を持った生活をしたいなと思いました。

気持ちに余裕が出れば、読書などに時間を費やすことができます。

体力に余裕があれば、スポーツができるでしょう。

余裕のない生活が、気持ちにもでて、メンタルも荒れるのかもしれません。

気持ちの余裕を意識して、今後生活していきたいです。

なみだ

今日、意味もないのに涙が出てきました。

泣かなければ、涙を出さなければダムが崩壊しそうだったのです。

理由は分かりません。

特に嫌なことがあった訳でもありません。

メンタルが弱っている時はそんな事も多々あります。

理由はなくても、日々の小さな綻びが、涙に変わるのかもしれません。

原因が分かれば、原因を取り除けば良いです。

時間が解決するなら待てば良い。

でも原因の分からない不調は困りますね。

ただ、逆に泣けて良かったと思いました。

泣かずに笑っていたら、きっと何かが溢れてしまったと思います。

でも私のメンタルは崩壊寸前なのは確かです。

最近無性に故郷の山が見たいと思うようになりました。

自然に癒されたいと思うようになりました。

それは、何かのサインなのでしょう。

休息は充分取っているはずなので、近いうち、気分転換に綺麗な景色でも見に行きたいです。

そう考えた時、今は誰にも会いたくないと思う自分がいました。

誰かと上手く話せる自信がないのです。

気分転換は1人か、夫と一緒にしようと思います。

こんな時、とても仲の良い友人でもいれば会いたくなるのでしょうか。

少なくとも両親には会いたくありません。

今はただ、綺麗なものと美味しいもので満たされたいです。

恐怖心

物心ついてから、私がはじめて恐怖心を抱いたのはレンタルビデオ屋でした。

父と母は、映画が大好きでよくレンタルビデオ屋に連れて行ってもらっていました。

ただ、何とも言えないあの店内の匂いと、ホラービデオのジャケットが目につき、幼い私には、とてつもない恐怖だったのです。

今思えば、それは恐怖症だったのかもしれません。

世の中には様々な恐怖症があります。

それが私にはレンタルビデオ屋でした。

レンタルビデオ屋に行く時は周りを見たくなくて、いつも俯いていました。

もう、レンタルビデオ屋なんてありませんが、私が映画をあまり見ないのにはその恐怖症も関係しているのかもしれません。

恐怖症の引き金は何になるかなんて、誰にも分かりません。

今でも数少ない、レンタルDVD屋などには行きたくないです。

見なければ良いのに、見たくないものばかり目に入るのです。

そういえば、虫嫌いな私は、家族の誰よりも家の中にいる虫を発見するのが早いです。

苦手なものや恐怖は1度頭にインプットされると、なかなか出ていってはくれません。

何か楽しいことを考えても恐怖が勝つのです。

私のそんな恐怖を和らげてくれるのは実際に目の前にある、美味しいものや綺麗なものです。

恐怖は想像でしかありませんが、目の前のものは現実です。

目の保養をしているうちに、恐怖は遠のきます。

ただ、消えた訳ではないので、また何かのきっかけですぐ近くに来るのです。

迷惑な客ですね。

強迫性障害と同じです。

私たちは付かず離れず、適度な距離で歩いています。

時々は遠くに行ったり、近くに来たりを繰り返して。

決して消えたわけではない。

見えなくともその存在は確かにあります。

強迫性障害から派生する数々の恐怖と私はこれからも戦って行くのです。

緊張

出勤日に休むのは気が引けます。

急な体調不良でたまに会社を休む時は、正直寝ていても寝ている気がしません。

決してサボっている訳ではないのに、後ろめたさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

全然休めないなら、多少具合が悪くても出勤しておけば良かったと思う時もあります。

かといって早退なんて高度な技は私には無理です。

上司に休みの連絡をするだけで心臓はバクバク、手汗はベタベタなのですから。

早退なんて、面と向かって上司に言うなんて行為、おそらく失神します。(大袈裟)

それくらい気が弱いのです。

電話も特に苦手なので、電話する前は深呼吸が増えます。

社内で、業務の分からないことを聞くだけでも、話しかけるのに勇気がいるのです。

強迫性障害を患う前から、これはありました。

別に分からないことを聞くだけなのに、なぜこんなに緊張するのだろうと常々思っていました。

話しかけて相手にどう思われるのか怖い、休んだら何か言われているのではないかと考えてしまう。

過度な緊張と、過度な心配が治りません。

今は会社でも周りの方が皆在宅なので、私は出勤していても楽です。

それでもやはり、他人に話しかけられたり、話したりするのは勇気が要ります。

強迫性障害と一緒できっと、一生付き合わなきゃいけないものなんでしょうね。

私は何でも話せる夫と、少ない友人の少ないコミュニティで話せれば充分です。

アダルトチルドレン

アダルトチルドレンというワードを目にしました。

子どもの頃の家庭環境や親との関係でトラウマを抱え、大人になってもその影響を感じている状態を指す概念だそうです。

特徴として、過度な自己責任や自己否定、自己肯定感や自尊心が低いなどがあるらしいです。

病気ではないようですが、私も当てはまると思いました。

そしてアダルトチルドレンと呼ばれる人達には、多くの場合反抗期がなかったと言われているそうです。

まさに私でした。

親が反抗を許さなかったのです。

少しでも反抗すれば家を追い出される恐怖がありました。

他に行くところも、反抗する勇気もない私は親に従うしか無かったのです。

もちろん反抗されたい親なんていないでしょう。

ただ、大多数の親は大人になる第一歩だと反抗期を認識してくれています。

私の親は違いました。

そのため、私は大人になりきれず、親の支配にまだがんじがらめにされたままです。

親離れできていないのかと言われたらそれは違います。

親はまだ子離れできていないことが分かります。

離れていても、私には親の支配の影が付きまといます。

心身ともに自立するにはどうすれば良いのか、分かりません。

独特で支配的な親の元に産まれた私には、どうやったら支配から抜け出せるか、分からないのです。

いつかわかる時が来るのでしょうか。

ただすべてのアダルトチルドレンへ言えるのは

「私たちは悪くない」

ということです。

今の状況は自分のせいでもなんでもない、不運な状況が続いただけ。

決して自分を責めないでください。

私も自分を責めた時期がありました。

でも今は違う。

どれだけ自分を認めてあげるか、それがアダルトチルドレン脱却の方法なのかもしれませんね。

電話

定期的に親に電話をするのがなんとなく強制的になっています。

しなくても良い、したくないのに、しなければいけないと思うのです。

一種の強迫観念です。

私の話など一切聞かない母との電話は苦痛でしかありません。

母は私の近況を知りたい訳ではなく、自分の近況を知って欲しいのです。

昔、地元で私が通っていた心療内科の先生が、1度だけ母に会ったことがありました。

一言二言言葉を交わしたでしょうか。

後日先生が、

「あのお母さんだったら〇さん(私のこと)苦労してこられたでしょう?」

と、私に言ったのです。

さすがプロだと思いました。

一言二言で母の性格を見抜いてしまったのです。

そういえば、高校の担任の先生も母の普通では無いところを見抜いていました。

その話をしたら、夫も最初から分かったそうです。

誰から見ても普通では無い母は、私をどれだけ不快にさせているのか知りません。

その母と長年連れ添っている父も、母に洗脳されているのか、普通に見えて普通では無いのかもしれません。

あまり普通という言葉は使いたくありませんが、ここではあえて使いました。

私の両親はあきらかに他の人とは違いますから。

もちろん、十人十色、色々な人がいるのは分かります。

でも、それで被害を受けている娘がいる以上、私の両親は人と違うのです。

今は地元を離れられて安心しています。

地元は大好きだし、帰りたいです。

でも両親の側にはいたくない。

わがままですが、今はこの生活が最高に幸せなのです。

病み期

また病み期が来たかもしれないです。

夫も体調を崩し会社を休んでしまいました。

夫が病んでいる時には私は元気でいないと、2人で倒れたらどうしようもないです。

こんな時、めげない強いメンタルが欲しいです。

病は気からという言葉もあるように、心が強ければ病気にも勝てる気がします。

逆に心が病んでいると、体調が悪くなります。

今病み期だから、気をつけねばいけません。

自分の病み期には慣れませんが、対処法は少し分かってきました。

とにかく平日の疲れを残さないこと。

体は疲れていても、心は健やかであるようにします。

それには自分をたっぷり甘やかすことです。

夜は好きなYouTubeを見たり、好きな食べ物を食べたり、自分のご機嫌をとります。

そして睡眠はたっぷりとり、週末は頭を空っぽにします。

気分転換に出かけるのも良いのですが、いつの頃からか、毎日のルーティンが狂うと、メンタルにダメージを負うようになりました。

面倒な自分ですが、そこは自分を理解して対策することが大事ですね。

少し余裕ができたら、気分転換に散歩でもして、秋を感じたいです。

病み期の外出は、人混みを避け、自然を感じるのが私には合っています。

人が多いと疲れるのは田舎生まれの特徴でしょうか…。

特に病み期は人混みが苦手です。

近所の木から落ちているどんぐりを見るだけで癒されます。

少し落ち着いたら、自然を感じに出かけたいと思います。

自虐と謙遜

私には取り柄と言われるものがありません。

特技を聞かれると困ります。

でも、それを自虐的に周りに言ったところで、聞いている人は「否定して欲しいんでしょ」とか「なんて言って良いか分からない」と思うでしょう。

多分私だったらそう思います。

だから、自虐的な事は言いません。

なるべく、私と関わる人にはポジティブな事を言いたいです。

ただ、唯一夫には弱音もはいたりします。

でもそれは、自虐ではありません。

自虐をする時は、ネタにします。

聞いてる方もそれなら、笑いやすくなるし突っ込みやすくなるからです。

笑いに変えることで、自分のコンプレックスも多少和らぐ気がします。

弱音と自虐は違う。

自分を卑下するのは、私は惨めだと思います。

誰だって自分に自信が100%ある人はいないと思います。

でも自虐はしない。

それは自分に失礼だからです。

外国人は褒められると

「ありがとう」

と返事をします。

自信があってもなくてもです。

でも日本人は否定しますよね。

「そんなことないですよ」と。

「ありがとう」と言えば終わる会話が、「そんなことないですよ」と言われると、こちらもまた否定せざるを得なくなり、話が終わりません。

謙遜は日本の文化かもしれませんが、良くない文化だと私は思います。

褒められたら、お世辞と分かっていても「ありがとう」と受け取るのが一連の流れな気がします。

凄いことは褒める、褒められたら感謝する、失敗したら謝る、そんなシンプルな事をシンプルにできるのって実は難しいのかもしれませんね。

だからこそ、親しい間柄では、きちんと言葉で「ありがとう」や「ごめんね」を伝えるのが大事だと思います。

私はそんな人間でありたいと思います。

グラス

昨日の夜グラスを割ってしまいました。

楽しかった夫とのデートから帰宅してすぐに。

水を飲んだグラスを洗おうとして手を滑らせてしまったのです。

お気に入りの二重ガラスのグラスでした。

片付けも文句1つ言わず「大丈夫大丈夫」と私を元気付けながら一緒にやってくれた夫には頭が上がりません。

何で自分はこうなのか。

なぜ手を滑らせたのか。

自分を責ればキリがありません。

私はこうなると立ち上がるまでに時間がかかります。

少しのミスや、過ちを許せない自分がいます。

それは完璧主義の自分のせいです。

他人にはどうでも良いことをぐちぐち考える自分に嫌気がさします。

昨日はいつもより早く寝ました。

起きて悶々としていても意味が無い。

私の性格上、しばらく引きずるはずですから。

面倒な女なのです。

でも、夫は「今日は楽しかったね。おやすみ!」と言ってくれたので、なんだか少し気持ちが楽になりました。

早く寝て、早く大丈夫な自分になりたい。

そう、強く思いました。

子供をつくらない選択

私たち夫婦は子供をつくらない選択をしました。

理由は色々あります。

でもまず、子供を育てるには高齢なことが理由のひとつです。

子供を産み、育てるには歳が上になりすぎました。

夫も体力に自信がないとのこと。

私も強迫性障害を患った身、何より子供を優先させる生活は、おそらく自分が自分でなくなると思いました。

そして、私も夫も2度目の結婚です。

私は元旦那との間に子供はいませんでしたが、夫には元嫁との間に子供が2人います。

2人とも成人し、まぁ、色々複雑な家庭なので絶縁状態ですが。

そのため、また子育てをする自信がないとのことでした。

誰も親になる自信がある人はいません。

ただ、夫が子育てする自信がないと言った時、私は正直安心しました。

夫と結婚した時、子供をつくるべきか迷ったのは本当です。

しかし、それはすべて親のため、世間体のためでした。

今思えば、それでは子供をつくる資格はないです。

何より今、2人の生活で楽しいしうまくいっているのに、この生活を壊すのが怖かったのです。

迷って話し合いましたが、子なしを選び、私の親にも言いました。

父は相当ガッカリしていましたし、未だに孫を諦めていません。

子供ができたという、妊娠報告を心待ちにしています。

でも私にはその親孝行は一生できません。

今まで親の言いなりで反抗もせず、良い子でいましたが、今回は親不孝です。

でも私の人生は私だけのものだから、私は私の生きたいように生きます。

時には迷ったり後悔したりしながら、私は私と生きていきます。