強迫性障害の確認行為

強迫性障害に確認行為というものがあります。

代表的な所で言うと、戸締りを何度も何度も確認することです。

それは一度の確認では不安だから、不安を払拭するためにする行為です。

しかし確認行為をしたから、不安が解消されるのかと言うと実はそうではありません。

ではなぜ繰り返し確認行為をするのか。

それには正直意味がないのです。

繰り返し確認をしているうちに戸締りがされているかどうかも分からなくなります。

でも一度の確認では不安、その不安を払拭するために確認を繰り返し、余計不安になる。

正直、悪循環です。

それでも、冷や汗が出ようが、意識が朦朧としようがやめられない。

終わりが見えないのです。

大丈夫と分かっているのに、確認しなければ気が済まない。

どこかで無理やり確認を終わらせると、不安がずっと付きまといます。

だから、自分を無理やり納得させて確認行為を終わらせるのです。

それが強迫性障害の確認行為です。

今までの私は確認行為をする朝の出勤前だけで疲れていました。

夫にまだ話せていないうちは、夫が見ていない所で何度も何度も確認行為をするのです。

隠していたのは恥ずかしい行為と自分でもわかっていたからです。

今は夫にすべてを話し、協力してもらうことで苦しさからは逃れました。

夫に絶大な信頼を寄せている私は、夫が確認すれば、一度の確認でも大丈夫なことに気付いたのです。

それを病院で話したら、先生が「そういう人は珍しいね」と言っていました。

馬鹿らしいことに付き合ってもらって、夫には感謝しかありません。

しかし、これで解決したとは思っていません。

根本的に私は治癒している訳ではないからです。

夫が出張の時はひとりでどうにかしなければいけないし、ひとりで出かける時ももちろんありますから。

そして確認行為は戸締りに限ったことではありません。

例えば小説を読んでいても映画を見ていても、何か引っかかると、戻って何度も見るため前に進まないのです。

映画館には行けませんし、気になったまま先に進もうとしても気になった部分が頭を支配して小説や映画どころではなくなります。

根本から治すのは不可能。

それが私が出した答えです。

だから確認行為をしなくても良いように日々生活していきます。

それが今、強迫性障害と付き合っている私のやり方です。

知ることと知らないこと

はじめて強迫性障害と診断されたのはまだ実家で暮らしている時でした。


母も一緒に病院へ行き、先生に水道代がバカ高いと私が症状を言うより前にまくし立てました。


寡黙な先生が言った
「強迫性障害ですね」
の言葉は今でも忘れられません。


今は、うつ病や、ADHDなどの方に優しい世の中だとは思います。


でも昔は違いました。


ネット環境もそんなに普及しておらず、自分で調べることも難しかった世の中。


強迫性障害なんて、未知の言葉は自分ですら受け入れることは難しかったです。


ただ、この辛い症状に病名があることに何故か安心して、涙した記憶があります。


それから20年ほどずっと病院には通っています。


夫の転勤で地元を離れ、今いる土地でも通院していることは両親には伝えていたし、分かっていると思っていました。


しかし、ある日父に電話で言われたことに衝撃を受けました。


今私は、甲状腺の病院にしか通っていないことになっていたのです。


あんなに辛い思いをしていた、強迫性障害がないことになっていました。


治ったとでも思っているのでしょうか。


ちなみに両親は認知症ではありません。


おそらく両親の中で、強迫性障害なんて名前も覚えられない未知の病はなかったことにしたかったんだと思います。


正直症状を話しても分かって貰えないことは分かっているので、そのまま、両親には話しを合わせています。


分かってもらおうとは思いませんが、私が病院に通っていることは知っていて欲しかった。


でも今は私の強迫性障害が、両親の中で消えている分、何も話さずに済むので逆に楽です。


病気の事は自分にしか分からないから、誰にも言わない。


そう思って生きてきました。


今は夫が最大の味方で、最良のパートナーなので、すべてを打ち明けました。


夫は知る努力をしてくれています。


だから、とても気持ちが楽になりました。


今のこの生活がとても好きです。

職場環境

強迫性障害を患うようになってから周りの音や匂いに敏感になった気がします。


正直職場でも周りの声が雑音に聞こえて、仕事が思うように進まない時があります。


それでもなんとかやっていますが、在宅が良いと思う時も多々あります。


昔に比べ、だいぶ敏感になりました。


ただ、今の職場は歴代の職場に比べてやりやすいし、環境は良いです。


この職場に来て、ちょうど1年になりました。


主人の転勤でこの土地に来てから、職場を転々としました。


ほとんど1年ももたず辞めました。


元々物覚えが悪いのと、コミュニケーション能力が低いことがあり、仕事や職場に馴染めず早々に辞めていたのです。


仕事ができないことで注意されると、恐ろしく落ち込み、仕事へ行くのが苦痛になります。


それがあり、1年ほどは仕事をせず、家にいました。


ようやく働いても良いかなと思えて今の職場に入り今に至ります。


ただ、フルタイムで働くとまた同じことの繰り返しになると思い、扶養内パートという働き方を選んだのです。


それは大正解でした。


今の生活は自分に合っているし、病気を患っていても今の自分が1番好きです。


それでも、仕事を始めたばかりの頃は、トレーナーである社員の見張りが厳しく、辞めようかとも思いました。


見られていると、思うように仕事ができず、余計なミスをしてしまうのです。


ただ、3ヶ月ほどしか働かず、辞めてしまった会社が2社ほどある前科があった私は、夫に相談。


夫の後押しもあり、もう少し頑張ってみることにしました。


今は仕事も覚え、独り立ちできたのに加え、トレーナーの方は在宅で働いているので、だいぶ楽になりました。


こちらに来たばかりの頃は気が張っていて、周りに溶け込まなければ、合わせなければと必死でした。


今はマイペースにできるようになり、あの時辞めなくて良かったと心底思います。


合う合わないはありますが、少しずつ合っていく仕事もあるのだなぁと感じるこの頃です。

ネイル

手を見て爪が綺麗だとテンションが上がります。


20代から30代はずっとネイルサロンに通い、ネイルを楽しんでいました。


仕事でパソコン作業の時、自分のネイルを見て、気分が良かったのです。


ただ、30代後半になり、ネイルのやめ時が分からなくなりました。


ネイルをしている人なら分かると思いますが、ネイルのオフ単品はやけに高いのです。


それなら新しいネイルを一緒にやってもらった方がお得です。


それでエンドレス。


自分ではオフできないし、どうしようかと思いながらダラダラネイル生活を続けていました。


しかし、ある時、どこかに出かける時はネイルでオシャレしたいですが、何も予定がないのにネイルもなぁと考えました。


また、ネイルサロンでオフをしてもらうと、自爪がビックリするほどボロボロなのも悲しかったのです。


元々爪が薄くてすぐ割れる私はネイルで爪を強化している面もありました。


でもよく考えたら、自爪には悪いことしかないです。


思い切りの良さが取り柄の私は、すぐにお高いオフをし、すっぱりネイルをやめました。


荒れた爪が生え変わるまでは、自分の手を見るのも嫌でしたが、綺麗な爪になると、思った以上に気持ちが良いものでした。


今は自分の中で綺麗の基準が変わり、自爪を綺麗に保つことが嬉しくなっています。


とはいえたまにはネイルもしたいので、自爪を傷付けない程度にセルフネイルは楽しんでいます。


年齢と共に綺麗の基準も変わるもの。


いつまでも女性であることを忘れず、自分磨きを頑張りたいです。

大丈夫な自分

美味しいものを美味しいと、綺麗なものを綺麗だと思えるうちは大丈夫です。


それが私の大丈夫の基準です。


ただ、最近気持ちが低迷しているのもあり、身体が反応したのか熱を出してしまいました。


37度程度の微熱なのですが、普段平熱が35度の私には少々しんどいです。


併せて台風も来るとの事。


なんだか小さなストレスや心配事が溜まります。
自分の中で低迷期の乗り越え方は分かっていますが、なかなか上手くいかない時も多いです。


落ち込む時はどん底まで落ち込まないと私は這い上がれないようです。


今多分底辺なのであとはアガるだけ。


そう言い聞かせて、どうにか仕事を乗り切ります。


今はやりたいことより、やらなければいけないことを優先させないと、やりたい意欲が湧かないのです。


やらなければいけないことを優先してやっていると自然と無心になれるので余計な事を考えなくてすみます。


自分が何をやりたいか、何者になりたいか、ハッキリ分かっている人は羨ましいですし、尊敬します。


私は昔から自分が何をしたいのか、夢も何もなかったからです。


ただ、親に言われるまま短大へ進み、就職しました。


後悔がないと言えば嘘になりますが、特に波風はありませんでした。


多分強迫性障害にならなければ、また別の人生だったかもしれません。


でも今はこの生活が最高に幸せだし、強迫性障害ともうまく付き合ってあげているのでおそらく大丈夫です。


もっと大丈夫な自分は求めません。


ただ、平凡に幸せに笑って暮らしたいです。

低迷期の乗り越え方

低迷期だなと感じる時が定期的にあります。


何をやっても上手くいかず、小さなことでイライラしてしまう。


そんな自分に更に嫌気がさします。


そういう時は心を無にします。


何も考えません。


仕事の時ならただやるべき事を淡々とこなし、休みの日なら頭をからっぽにして、何もしません。


何も考えず、ただ、ぼーっとする時間を作ります。


一見無駄に見えるこの行為こそ、前に進むためのステップなのです。


心を静かに、穏やかに。


これは実はとても難しいことで、どうしても雑念が入り色々な事を考えてしまいます。


でも強制的に、シャットダウンします。


そういう時は、昔の嫌なことや失敗を思い出して1人自己嫌悪に陥るから、良い事無いのです。


分かっていても考えてしまうなら、何か好きな事をします。


私なら、映画を見たり、本を読んだりです。


集中すると、雑念は消えます。


映画や本も難しいものではなく、ゆるく見れるものを選びます。


少し現実逃避すると、頭がすっきりしているのです。


強迫性障害の症状が色濃く出てくると、それもできない時があります。


でも無理にでも頭の雑念を消す。


難しいですが、これが私の前に進むための下準備です。

家事

家事分担と言いますが、適材適所があると思います。


うちは私が扶養内パートで楽させてもらっている分、家事はすべて私がしています。


私が家事をしっかりしたいタイプだし、家にいるのが多い私がやる方が効率が良いからです。


かといって夫は何もしないかというと、そうではなくて、むしろ率先してやりたいタイプ。


私は、自分なりの家事のやり方やペースがあるのでできれば口出しはしてほしくないし、できれば自分でやりたいです。


それでも忙しい時は夫に掃除を頼んだりします。
その時は喜んでやってくれるし、日々の私の家事にも口出しせず、感謝してくれます。


それが嬉しい。


夫もひとり暮らしが長かったので家事は全般できますし、おそらく自分のやり方もあるはずですが私に任せてくれてます。


私は、仕事はフルタイムはもう無理だと思っています。


メンタルでやられてしまうから。


その分夫はしっかり働いてくれます。


だから私もしっかり家を守る。


色んな夫婦がいると思いますがうちはこれで上手くいってます。


昔、フルタイムで働いていた時は別に家事なんてしっかりやっていなかったし、やらなくても平気でした。


夫はそれでも文句は言わなかったです。


ただ、だんだん家時間が好きになった私は、忙しさで家が荒れていくのが嫌になりました。


その頃です、強迫性障害の症状が酷くなって、病院で抑うつと診断されたのは。


何事も完璧でないと許せない性格が災いして、仕事も家事も中途半端な自分が嫌になりました。


ただ、そこから仕事を辞め、1年ほどゆっくり休み、どうにか今は普通の生活ができるレベルになっています。


それでも時々辛い時はありますが。


ただ、昔一切やらないし、できなかった家事が今は好きなので、仕事より家事に重きを置いています。


生活できるレベルのお金があれば、あとは生活を充実させたいのです。


かといって、ずっと家にいても気が滅入ってしまいそうなので、週3日の6時間程度のパートがちょうど良いです。


夫との時間も大好きですが、1人時間も好き。


今は少しだけ、完璧じゃなくても大丈夫、と思えるようになりました。


真面目で完璧を求める人が、心の病にかかりやすいと言います。


私は真面目でもないし完璧でないとダメなんて思ったことはなかったはずでした。


でも自分で自分を知らぬ間に苦しめていたのですね。


今は平日頑張った分、週末はどれだけ自分を甘やかすか考えています。


自分を労いながら、ゆるゆる生きていきます。

雑記

あるネットニュースで「人生をドブに捨てる行為」というテーマがありました。


いつもこんな事で頭にきたりはしないのですが、今回は少し頭に来ました。


覚えている限りこんな内容です。


1.やりたいことよりもするべきことを優先する
2.常に安心できる環境にとどまる
3.周りを気にして行動する
4.いつも同じメンバーといる
5.旅行しない
6.現状維持が大好き
7.休みの日のために生きている


すべて当てはまる私は人生を棒に振っているのでしょうか。


こんなに毎日充実して、楽しくて幸せなのに。


他人の幸せや人生なんて、モノサシで測れるものじゃないです。


ネット社会の世の中で、いちいちこんな事に気を取られてばかりではいられません。


でも、この記事はかなり酷いと思いました。


私の幸せは、私が決めるし、それで人生を棒に振っているなんて考えたこともありません。


こういう事が気になっていちいち腹立たしく感じるから、多分私は強迫性障害なのだと思います。
でも自分は変えられない。


守りの人生で何が悪いの?


私は私らしく生きていきます。

甲子園

毎年楽しみにしている甲子園が今日決勝を迎えました。

プロ野球にはあまり興味がないのに、甲子園は最近毎年見ています。

若者たちが泥だらけになりながら白球を追いかけるのはとても眩しいです。

私にはそんな青春時代がなかったので羨ましいです。

負けても勝っても、少年たちの涙、そして共に闘った仲間は一生の宝物だと思います。

接戦で負けても、負けは負け。

結局は勝った方が次に駒を進められます。

残酷ですが、結果がすべて。

彼らはそこから様々なことを学び、貴重な経験をするのです。

大人になってもその経験は心の中に生き続けるでしょう。

誰でも経験できるものではないことを、10代で経験するのです。

彼らがどんな大人になっていくのか楽しみです。

シートマスク

少し前、朝晩毎日シートマスクをするのが良いとの噂を聞き、お肌の衰えを感じる私は迷わず毎日使えるシートマスクを買いました。

朝のマスクは、洗顔も兼ねるらしくだいぶすっきりさっぱりの使い心地。

夜のマスクは、ビタミンCも入った潤うタイプ。

安いものでも良いとのことだったので、どちらも50枚入りで1000円もしないものです。

格段に肌質が変わったという人もいて、かなり期待はしましたが、3ヶ月ほど使っても私には効果が正直ありませんでした。

それどころか、何年も見なかった、繰り返すニキビに悩まされることになりました。

色々調べてみると、シートマスクは本当に人によるそうで、元々肌のポテンシャルが高い人には良いかもしれませんが、実際シミやシワを改善する訳ではないのだそう。

ただ、潤いを与えるのは肌にはとても良い事なので、それで肌質改善する人は多いようですが。

私のようにニキビができてしまったり、肌トラブルが悪化する人も中にはいると思います。

情報化社会で、様々な情報に迷わされますが、その中ですべて鵜呑みにするのではなく、自分に合った方法を探るのが大事だと感じました。

ちなみにシートマスクは夜はやめましたが、朝の分はさっぱりして気持ちが良いので今も使っています。

夜のシートマスクをやめて、ニキビはすっかりなくなりました。

もちろん私は合いませんでしたが、シートマスクが肌に合う人も沢山いると思います。

なにごとも継続ですね。

若いうちからもっとスキンケアに力を入れていればよかったと思いますが、今からでも遅くないと自分に言い聞かせ、昔よりは少しだけ良い基礎化粧品を購入しています。

でも無理はしません。

身の丈に合ったものを購入しています。

高いものはそりゃ良いのは分かりますが、続きませんから。

ばしゃばしゃ使える化粧水を購入した方が私には合っています。

おかげで最近、自分調べですが少し美肌になった気がします。

このまま続けていきたいです。