電話

定期的に親に電話をするのがなんとなく強制的になっています。

しなくても良い、したくないのに、しなければいけないと思うのです。

一種の強迫観念です。

私の話など一切聞かない母との電話は苦痛でしかありません。

母は私の近況を知りたい訳ではなく、自分の近況を知って欲しいのです。

昔、地元で私が通っていた心療内科の先生が、1度だけ母に会ったことがありました。

一言二言言葉を交わしたでしょうか。

後日先生が、

「あのお母さんだったら〇さん(私のこと)苦労してこられたでしょう?」

と、私に言ったのです。

さすがプロだと思いました。

一言二言で母の性格を見抜いてしまったのです。

そういえば、高校の担任の先生も母の普通では無いところを見抜いていました。

その話をしたら、夫も最初から分かったそうです。

誰から見ても普通では無い母は、私をどれだけ不快にさせているのか知りません。

その母と長年連れ添っている父も、母に洗脳されているのか、普通に見えて普通では無いのかもしれません。

あまり普通という言葉は使いたくありませんが、ここではあえて使いました。

私の両親はあきらかに他の人とは違いますから。

もちろん、十人十色、色々な人がいるのは分かります。

でも、それで被害を受けている娘がいる以上、私の両親は人と違うのです。

今は地元を離れられて安心しています。

地元は大好きだし、帰りたいです。

でも両親の側にはいたくない。

わがままですが、今はこの生活が最高に幸せなのです。

20代の頃は服はあればあるほど良いと思っていました。

むしろ同じ友達と会うのに絶対同じ服は着ていきたくないとも思っていました。

今は物欲自体がさほどなく、服に関する関心が1番低いです。

職場もかなりラフな格好なので、デニムにTシャツなどで通勤したりしていますし。

そうしているうちに、自分の好みの服や似合う服が分からなくなりました。

服を見に行っても、可愛いと思うものがないのです。

そして良いかなと思って買ったものも、まったく着ないなんてことも。

好みは変わりましたが、まさか自分の好みが分からなくなるとは思いませんでした。

最近はラフな格好を、平日も休日も好んでしています。

歩くことが多くなったので、ヒールの靴を履かなくなったことにも原因はあるのかもしれません。

スニーカーに合わせると、どうしてもラフな格好になってしまいがちです。

そして私は冒険心がない上に、センスが皆無なので、マネキンの服を真似してコーディネートは一択になりがちです。

トップスとパンツを買っても、組み合わせを変えてローテーションでコーディネートを楽しめない女です。

年齢のせいもあるのかもしれませんが、ここまで服の好みが変わると、今まで着ていたものは一切着る気がしなくなり、新たな服をどうやってお迎えして良いかも分かりません。

とにかく今は少ない服で頑張っていますが、いい加減飽きてきました。

Google先生で検索しても、イマイチピンと来ない服を買うのは正直嫌ですし。

困りますね。

メンタル面の回復の仕方は分かってきましたが、服の好みが分からない。

かといって何でも良いわけじゃない。

面倒な女になってしまいました。

とりあえず、しばらくは色々見て目を養おうと思います。

病み期

また病み期が来たかもしれないです。

夫も体調を崩し会社を休んでしまいました。

夫が病んでいる時には私は元気でいないと、2人で倒れたらどうしようもないです。

こんな時、めげない強いメンタルが欲しいです。

病は気からという言葉もあるように、心が強ければ病気にも勝てる気がします。

逆に心が病んでいると、体調が悪くなります。

今病み期だから、気をつけねばいけません。

自分の病み期には慣れませんが、対処法は少し分かってきました。

とにかく平日の疲れを残さないこと。

体は疲れていても、心は健やかであるようにします。

それには自分をたっぷり甘やかすことです。

夜は好きなYouTubeを見たり、好きな食べ物を食べたり、自分のご機嫌をとります。

そして睡眠はたっぷりとり、週末は頭を空っぽにします。

気分転換に出かけるのも良いのですが、いつの頃からか、毎日のルーティンが狂うと、メンタルにダメージを負うようになりました。

面倒な自分ですが、そこは自分を理解して対策することが大事ですね。

少し余裕ができたら、気分転換に散歩でもして、秋を感じたいです。

病み期の外出は、人混みを避け、自然を感じるのが私には合っています。

人が多いと疲れるのは田舎生まれの特徴でしょうか…。

特に病み期は人混みが苦手です。

近所の木から落ちているどんぐりを見るだけで癒されます。

少し落ち着いたら、自然を感じに出かけたいと思います。

自虐と謙遜

私には取り柄と言われるものがありません。

特技を聞かれると困ります。

でも、それを自虐的に周りに言ったところで、聞いている人は「否定して欲しいんでしょ」とか「なんて言って良いか分からない」と思うでしょう。

多分私だったらそう思います。

だから、自虐的な事は言いません。

なるべく、私と関わる人にはポジティブな事を言いたいです。

ただ、唯一夫には弱音もはいたりします。

でもそれは、自虐ではありません。

自虐をする時は、ネタにします。

聞いてる方もそれなら、笑いやすくなるし突っ込みやすくなるからです。

笑いに変えることで、自分のコンプレックスも多少和らぐ気がします。

弱音と自虐は違う。

自分を卑下するのは、私は惨めだと思います。

誰だって自分に自信が100%ある人はいないと思います。

でも自虐はしない。

それは自分に失礼だからです。

外国人は褒められると

「ありがとう」

と返事をします。

自信があってもなくてもです。

でも日本人は否定しますよね。

「そんなことないですよ」と。

「ありがとう」と言えば終わる会話が、「そんなことないですよ」と言われると、こちらもまた否定せざるを得なくなり、話が終わりません。

謙遜は日本の文化かもしれませんが、良くない文化だと私は思います。

褒められたら、お世辞と分かっていても「ありがとう」と受け取るのが一連の流れな気がします。

凄いことは褒める、褒められたら感謝する、失敗したら謝る、そんなシンプルな事をシンプルにできるのって実は難しいのかもしれませんね。

だからこそ、親しい間柄では、きちんと言葉で「ありがとう」や「ごめんね」を伝えるのが大事だと思います。

私はそんな人間でありたいと思います。

グラス

昨日の夜グラスを割ってしまいました。

楽しかった夫とのデートから帰宅してすぐに。

水を飲んだグラスを洗おうとして手を滑らせてしまったのです。

お気に入りの二重ガラスのグラスでした。

片付けも文句1つ言わず「大丈夫大丈夫」と私を元気付けながら一緒にやってくれた夫には頭が上がりません。

何で自分はこうなのか。

なぜ手を滑らせたのか。

自分を責ればキリがありません。

私はこうなると立ち上がるまでに時間がかかります。

少しのミスや、過ちを許せない自分がいます。

それは完璧主義の自分のせいです。

他人にはどうでも良いことをぐちぐち考える自分に嫌気がさします。

昨日はいつもより早く寝ました。

起きて悶々としていても意味が無い。

私の性格上、しばらく引きずるはずですから。

面倒な女なのです。

でも、夫は「今日は楽しかったね。おやすみ!」と言ってくれたので、なんだか少し気持ちが楽になりました。

早く寝て、早く大丈夫な自分になりたい。

そう、強く思いました。

私が地元に戻りたくない理由

私のいとこは3人います。

父の兄であるおじの子供です。

遠方でなかなか会うことはできませんが、実家にはたまに連絡が来ます。

ある日、おじとおばが最近軽度の認知症を発症していると聞きました。

3人の子供のうち、長女はひきこもりで、仕事もせず実家にいます。

長男は結婚し、子供もいて、近くに住んでいます。

次男は、今は遠方に暮らしていて、帰ってくる気配はありません。

そう考えた時、1番頼りになるであろう長男が両親と長女である姉の面倒を見ることになるでしょう。

それを聞いて、私は「長男くん、大変だね」と母に言いました。

次の母の返事に私は言葉を失いました。

「子供は親の面倒を見るのが当然なんだから仕方ないでしょ」

私はひとりっ子で、もちろん両親の面倒を見るつもりでいました。

しかし、それを聞いて決心がゆらぎました。

あたりまえ?育ててやったんだから、面倒見るのが当たり前なの?

私の友人や、会社の人などに話を聞いた時は全員、「子供には絶対に面倒をかけたくない」と言っていたのを思い出しました。

親は子供の幸せを願うのだと勝手に思っていましたが、私の母はどうやら違うようです。

父は私には面倒をかけたくないと思ってくれているようで安心しましたが、父より母の方に決定権があるので、母は父の言うことなど聞かないでしょう。

薄情ですが、私が地元に戻りたくないのは両親がいるからです。

近くにいれば頼られるのは目に見えていますし、私の生活にも干渉してくるでしょう。

私は今の生活が気に入っています。

それを壊されたくない。

わがままは分かっています。

でも私の人生は私だけのものです。

今は両親元気ですが、そのうち、介護が必要になる時もあるかもしれません。

その時私はどうするのか、どうしたいのか、まだ答えは出ないままです。

子供をつくらない選択

私たち夫婦は子供をつくらない選択をしました。

理由は色々あります。

でもまず、子供を育てるには高齢なことが理由のひとつです。

子供を産み、育てるには歳が上になりすぎました。

夫も体力に自信がないとのこと。

私も強迫性障害を患った身、何より子供を優先させる生活は、おそらく自分が自分でなくなると思いました。

そして、私も夫も2度目の結婚です。

私は元旦那との間に子供はいませんでしたが、夫には元嫁との間に子供が2人います。

2人とも成人し、まぁ、色々複雑な家庭なので絶縁状態ですが。

そのため、また子育てをする自信がないとのことでした。

誰も親になる自信がある人はいません。

ただ、夫が子育てする自信がないと言った時、私は正直安心しました。

夫と結婚した時、子供をつくるべきか迷ったのは本当です。

しかし、それはすべて親のため、世間体のためでした。

今思えば、それでは子供をつくる資格はないです。

何より今、2人の生活で楽しいしうまくいっているのに、この生活を壊すのが怖かったのです。

迷って話し合いましたが、子なしを選び、私の親にも言いました。

父は相当ガッカリしていましたし、未だに孫を諦めていません。

子供ができたという、妊娠報告を心待ちにしています。

でも私にはその親孝行は一生できません。

今まで親の言いなりで反抗もせず、良い子でいましたが、今回は親不孝です。

でも私の人生は私だけのものだから、私は私の生きたいように生きます。

時には迷ったり後悔したりしながら、私は私と生きていきます。

会話能力

あの時これを言えばよかった、あれを言えばよかったと後から後悔することがあります。

頭の回転が早い人ならすぐに上手い返しを思いつくのでしょうが、私には無理です。

そして何故かあとから、言えばよかった上手い返しを思いついてしまうのです。

不思議なもので、一旦落ち着くとなかなか良い答えが生まれるものです。

なにかの本に普段からこう言われたらこう返すという、シュミレーションをしておくと良いと書いてありました。

しかし、無限にある会話に予測なんてつくわけないです。

日々、誰かとコミュニケーションをとることで自然と頭の回転が良くなるのだとは思います。

ただ、コミュニケーション不足&苦手な私にはそれすら難しい…。

高校生の時は確かに、毎日友達とばかみたいに話していたので、頭の回転は早かったように思います。

今は会社に1日いても、何を話したか覚えているくらい、会話は少ないです。

誰とでも人懐っこく話せる人が羨ましいです。

ただ、自分はそうなりたくないと思う時もあって、矛盾してますね。

私は親しい人と仲良くできれば、浅く広い交友関係はいらないと思っているタイプです。

だから余計、誰とでも仲良くしなくても良いと思うのです。

言葉の刃が怖くて逃げているのかもしれません。

傷付くなら話の輪の中に入らない方が良いです。

防衛本能も過度はいけません。

でも私はおそらく変わらないでしょうね。

お弁当の中身

繊細過ぎるのでしょうか。

少し嫌なことがありました。

会社でのこと。

「今日お昼何食べるの?」

と、さほど親しくない方から聞かれました。

「普通にお弁当です」

私は一応毎日お弁当は作っています。

中身はだいたい毎日一緒ですが。

この返事がつまらなかったのでしょうね。

「いや、中身を聞いてるんだよ」

「秘密です」

「え、これって聞いちゃダメな事なの?誰か傷つく?」

私の「秘密です」が面白くなかったんでしょう。

こんな時面白い事を言えたらと思いますが、私は会社では1人黙々と仕事をこなしていて、とても静かな人です。

そんな私が面白いことなんて言えるわけないのです。

しかも親しくもない人に。

相手は何も思っていないかもしれませんが、私はずっとモヤモヤが残っています。

その後笑って誤魔化しましたが、正直ちょっと泣きそうでした。

別にお弁当の中身なんて知られても良いじゃんと思う人がいる反面、私は恥ずかしいのです。

いつも同じの食べてると思われるのも嫌だし、なんだかプライベートを見られているようで嫌です。

なんでもない出来事ですが、私には大事です。

ずけずけ言うのは、気心の知れた仲間内だけにしてほしい、そう思いました。

こんな事気にする価値もないのに、グチグチ考えるのが私の悪いところです。

陰口を言われているのではないか、そんな妄想もします。

言いたいヤツには言わせておけば良い。

そう、頭では分かっているんですが、心が追いつかないです。

しばらく嫌な気分を引きずりますね、これは。

不安との戦い

私は毎日不安と戦っています。

朝は戸締りの不安。

これは夫と一緒に確認してもらうことでかなり楽になりました。

通勤中は、階段から落ちるんじゃないか、転ぶんじゃないか、何か物を落としていないか、の不安。

これは毎日付きまといます。

そのため階段は落ちないようゆっくりですし、荷物は常にぎゅっと持っています。

出社後はタイムカードをちゃんと押せたか何度も確認。

別に押せていなくても月末にまとめて申請できるのに、確認しないと気がすみません。

お昼は、周りに人が居るため、むせったらどうしよう、こぼしたらどうしよう、の不安。

そのため誰よりゆっくり丁寧な動作で食事します。

帰りもタイムカードの不安や、事故の不安と戦い、夜寝る前は明日寝坊したらどうしようの不安と戦うのです。

日々自分との戦いです。

無駄なことを考えても仕方ないのに、延々と考えてしまう、強迫性障害の私には無駄にできる時間など1秒もないのです。

それでも安らげる時間があるから、私は私でいられます。

張り詰めていた時間があればあるほど、ゆとりの時間が有難く感じるのです。

何も考えず、ただ流れに身を任せる時間が至福の時です。

他人には無駄に思える時間も私には貴重な時間なのです。