多くの人が「普通」だと思って、「普通」にできていることは私には「普通」ではないことが多いです。
「普通」という言葉は、境界線が曖昧なのであまり好きではないのですが、「普通」に代わる言葉が思いつきません。
ここでは、10人中8人ができていることを「普通」と呼びます。
では、10人中残りの2人は「普通」ではないのでしょうか。
でもできない側の2人の中では出来ないことが「普通」なはずなのです。
私も物覚えが悪く、運動神経もないので、周りの人達が1回で覚えることやできることが、何回やってもできない時が多々ありました。
それは私には特別なことではなく、当たり前でした。
できている皆がただ凄かった。
中高生になるにつれ、できないことがコンプレックスになり、プレッシャーとなりました。
「皆できているんだからやらなければ」と考えれば考えるほど、できなくなるのです。
当時はそれで自分を責めていました。
自分はなんてダメなんだ、と。
今は、出来ないことはむしろ個性と捉えています。
特技がある人もない人もいて、運動神経が良い人も悪い人もいる、それは劣等感を持つことではなく、十人十色いる世の中で当たり前のこと。
そこに気付くのに40年かかりました。
今は学校で教えてくれるのでしょうか。
私は学校では学べませんでした。
教えて貰えたとしても、多分自分の中で消化して納得するのに、同じくらい時間がかかった気がします。
だから、多分今の自分は生きてきた中で最高の自分。
歳を重ねて、分かることが沢山あります。
歳を重ねるのは悪いことばかりじゃない。
年を取るのは嫌だなと言う、若い人がいます。
でも、いずれ来る未来の自分を嫌だなんて思ったら自分が可哀想です。
誰でも歳は平等に重ねるものなのですから。
身体の衰えは努力でカバーしましょう。
心は日々成長を続けていきます。
私たちは日々、進化する生き物なのですよ。